ブライトウ10激突!川中島その2


2018年04月04日

気がついたときにはすでに朝で

ほんの一瞬だったような

深い眠りから目を覚まし

朝風呂へ。

なんでも長男と三男は僕が寝た後、

もう一度お風呂に入りに行ったらしい。

ということで三男3回目のお風呂。

今日は1日目2日目と違って

最初の目的地の開場が9時なのでそこまでゆっくり。

最近は野菜中心の食事を心がけているので

好きなものを選べる朝食バイキングはうれしい。

子どもたちはハムやらソーセージやらと

好きなものいっぱいあって嬉しいらしいが

朝からそれを食べるのはちょっと・・・

と思う自分は年をとったのだと思う。

またいつものじゃれあい。

仲が良くてよろしい。

予定より少しゆっくり出発して

最初の目的地は

真田宝物館。

去年も来てるので

今年はいいんじゃない?

と思うが、彼らには目的があったのでした。

そう、

この鎧兜の武将コスプレ!

1年経って

みんな大きくなった!

去年は怖くて着るの嫌だといっていた

三男もこの通り。

今年は赤いの着たい!

と言っていたが

「絶対君黒の方が似合うって!」

と誤魔化された次男。

でも似合うのは本当だ。

体格がよくなり

陣羽織がキツくなってきていた長男。

ちびっこコーナーに

おさらばするときは近いのかもしれない。

全員でお姉さんから撮ってもらったけれど

どれもピントが・・・。

でもありがとうございます!

甲冑を脱いで帰ろうとしたら

意外にも塗り絵コーナーにどハマり。

前回とはまた違った楽しみ方ができたのは

子どもたちの成長のしるしなんだな。

真田宝物館を後にして

向かったのは山本勘助の墓。

なんでも車では行きにくい場所だということで

金井山駅(現在は廃線)の駐車場から

歩いていく。

すごい細い道でスライドはおろか

ちょっと大きい車は曲がれない道路を

クネクネ曲がって向かう

こんなとこ車こないよなと油断していると

暴走郵便バイクに轢かれそうになる。

向こうもこんな道路

歩いている人いないよなと思い込んでいた様子。

危ない危ない。

のどかな川べりの畑の中に

ポツンとあった。

山本勘助(道鬼)の墓。

近くで農作業をしているおじさんとおばさんに

元気良く挨拶をしたら

「君たち挨拶上手でえらいな!」

とおじさんが寄ってきていろいろ教えてくれた。

理科の時間だと言って

井戸のポンプで支点力点の話とか

社会の時間だと言って

なぜこの勘助の墓がこんなにも立派なのかとか

様々教えてもらいました。

多分このおじさんは元先生だったのでは?

と勝手に想像。

せっかくだから写真撮ってあげると

おじさんの指定するポイントでパチリ。

なんでも山本勘助役の内野聖陽さんが

ここには4度ほど訪れているそうで

あら?

素通りしてきちゃていたけど

この石碑は風林火山撮影記念の碑で

この松は内野聖陽さんが植えていった松だとのこと。

おじさんから聞かなきゃ

全然知らなかった!

戦国時代のお墓というのは

小さな石くらいの墓標が一般的で

どんな殿様でもそんなに大きなものはないのですが

山本勘助の存在に敬意を抱いた

後世の人がこんな立派なお墓を立てた・・・。

そんな説明だったと思う。

山本勘助は空想上の人物で

実在しないという説もあるのだが

ドラマで見て、ゆかりの地をめぐり

お墓詣りまでした子どもたちの心の中には

確かに山本勘助は存在する!

そう言い切りたいと思います。

天気が良く、爽やかな風が吹いていたのですが

なんかその風にのって勘助が僕らを見に来た・・・。

そんな気持ちになるような清々しい気分でした。

いつも戦国武将のお墓詣りをしていて思うのですが

自分のお墓を400年後の人たちが

訪れて手を合わせてくれることってあるのだろうか?

なんて考えると

歴史に名を残した人たちの

凄さがわかるような気がします。

 

 

歩いてまた車まで移動し

ほど近い八幡原公園に5分ほどで到着。

今年も佐久間象山先生の銅像が迎えてくれます。

象山先生の言葉が刻まれていて

「私は生まれてから10年は自分のことを考え

そして

その後10年は家族のことを考えるようになった

20歳になってからは自分の生まれた

故郷のことを考えるようになり

30歳になったら日本国のことを考えるようになり

40歳になったら世界のことを考えるようになった」

というようなことが刻んでありました。

象山先生は僕の敬愛してやまない吉田松陰先生の師匠。

二度こうして先生の生まれた地に

足を踏み入れたことに勝手にご縁を感じています。

売店が並ぶ歩道を歩いていくと

武田上杉両雄一騎打ちの地へ。

ここはなんといっても

武田の本陣に上杉謙信が単騎切り込み、

切りつけたところ

武田信玄が軍配で受けたという伝説の地。

その際、謙信は三太刀切りつけたが

軍配には7つの傷、つまり7つの太刀傷がついたというのも

伝説の一つです。

本当にそんなことができたのか?

諸説いろいろありますが

それを考えるのも歴史の楽しみの一つですね。

ほんのすぐ隣の敷地に

お土産や食事をする施設があり

その片隅に

本当に無造作にそれはあった。

去年も見ているはずだったが

全く認識できていなかった。

胴合橋(どあいばし)

敵に討ち取られ奪われた勘助の首を

家臣がなんとか取り返し

この地に持ち帰ってきたことろ

この川の上流から主人のものと思われる

体が流れてきたので

その体と首とを合わせてみたところ

ぴったりと一致したというのがこの場所。

だから胴合橋というのだそうです。

この距離が2キロも離れていたのに、

首と胴体が合ったというのは、

勘助の首が胴体を呼び寄せたに違いないとと伝えられています。

ドラマ風林火山のラストシーンの場所ですね。

 

こんなシーンを追って

来たのだなぁ。

去年は山本勘助に関しての予備知識がなかったので

お墓もこの胴合橋もスルーだったのに。。。

感慨深い思いを持ちながら

原も減ってきたので次の目的地へ車で移動。

ブライトウ⑨激突!川中島


2018年04月03日

車を走らせることまた一時間。

子どもたちの寝てる間に

長野インターまで移動し

小高い山へ。

そう、

ここは妻女山。

武田信玄と上杉謙信が過去5度対峙し

もっとも大規模な戦となった

第4次川中島の合戦で

上杉謙信が陣を張ったのがこの妻女山。

目前には川中島・・・今でいう八幡原と

海津城(今の松代城)が見えます。

東屋があり、その先には展望台がありますが

もうこの人は登るつもりはありません。

正面に見える橋のあたりが川中島。

右手の山の手前が海津城。

もっと先には丸いエムウエーブなんてのも見えます。

 

ここに陣を張った上杉を

この妻女山から引きずりだそうと

別働隊が裏から奇襲する。

これが武田軍軍師の山本勘助(大河ドラマ風林火山の主人公)が

考え出した啄木鳥(きつつき)戦法。

しかし、その作戦は上杉軍軍師宇佐美に見抜かれ

山本勘助たちの別働隊が妻女山についたときには

この山にはすでに大群はおらず、

裏をかかれた勘助は自分の失策を取り戻そうと

川中島の合戦城に向い

討ち死にしたというのがドラマ風林火山の

クライマックスシーン。

一年間かけてドラマで勉強したので

子どもたちの頭にもきっとそのシーンが

うかんでいるんじゃないかな?

妻女山を降りる途中で

上杉謙信槍尻の泉。

ここに上杉謙信が槍を突いたら

そこから泉が湧き出したという

伝説の場所。

400年以上前の人物が立ったであろう

場所に立っている・・・。

それだけで感じるところがあるのでしょう。

ちなみに風林火山の上杉謙信は

GACKTでした。

山を降りて10分ほど車に乗り

松代へ。

しおりに記載された予定では

川中島古戦場や

象山記念館

象山地下壕

典厩寺

に行く予定でしたが

朝も早かったしみんなさすがにお疲れぎみだったので

松代城(海津城)を本日の最終見学地に変更。

この海津城は山本勘助が築城し、

甲州流築城の模範になったといわれる名城。

川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、

三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という

自然の地形を巧みに利用した堅固な造りであった。

激戦となった第4回川中島合戦では、信玄がここを

基地として出撃する。

 永禄3年(1560)ころには完成したと推定され、

『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』によると、

謙信との合戦に備えて信玄は築城を急ぎ、

山本勘助は80日で普請したという。

山本勘助の甲州流築城法「甲斐図」に拠り、

築城されたところから甲斐図(海津)とついたという説もあるそうです。

一年ぶりの松代城。

立派な櫓門をくぐり

本丸へ入ると

桜が満開でお花見に来ている人が多くいました。

去年も同じ時間くらいに来たのですが

我が家の貸切だったのですが。

物見櫓台へ登り

先に車から降ろしてリリースした

三人の子どもたちを探してみると

いた!

昨年も来ているので勝手知ったる三人は

見たことのある本丸へは一歩も立ち入らず

立派な二の丸土塁跡で

楽しんでいました。

こりゃ静かでいいわと

夫婦二人でしばしお花見。

しかし・・・

こんな土塁でギャンギャンキャッキャと

遊びまくるのうちの子だけだし、

花見見物の人たちの注目の的!

その間に二人で少々デートし

三人のいる土塁へ。

海津城は立派で高い土塁が残っており

うちの子たちは武将になった気持ちなのか???

は不明だが

下から攻め上がったり

上から滑り降りるのが

なんとも楽しいらしい。

あの〜。本丸見ないんすか?

想像通りに

お尻はドロドロのズボンはボロボロになり

たっぷり遊んで気が済んだところで

ヨメさんから強制収容。

去年も天気良かったけど

今年も最高!

雨降りじゃ土塁遊びできないもんね!

「もうホテル行こう」

子どもの方から言い出したので

よっぽど疲れたのだろう。

100名城スタンプをもらいに

真田邸へ歩き

時間ギリギリで間に合う。

んが、

しかし、

長男がしおりがないと言い出した。

また土塁に戻り

車の中を探しても

全く見つからない。。。

きっとどこかに置いてきてしまったのだろう。

長男は車から出るとき

車に乗り込むときに

持ち物に足りないものがないかをチェックする

「忘れ物担当係」

だったのだが、

その係が率先して忘れてくるなんて・・・。

怒りたくなる気持ちにもなったが

無くした本人が一番ショックを受けていたので

「まあまあ、跡からお父さんの見せてあげるから」

と慰めるしかなかった。

切り替えてすぐ近くの宿へ。

去年も泊まった

国民宿舎松代荘

ここは真田のオフィシャルホテルのように

浴衣から

布団から

のれんまで

至る所に六文銭と結び雁金が描かれていて

真田ファンのうちの子たちにとって

ディズニーホテルに泊まるようなものです。

早速泥だらけの体を清めるべく

お風呂へ。

僕的にこの宿をリベンジした理由の一つに

温泉の良さがある。

真田の隠し湯ということで

茶色に濁ったあったまりの湯が

なんとも癒されます。

昨年はこの露天風呂の写真を撮らないできたのが

なんとも悔いが残ったので

今年は風呂場に誰もいないのをいいことに

露天風呂撮影会。

中でもこのつぼ湯?

この写真撮れて父ちゃんも大満足!

一生の思い出になるんだよなぁ〜。きっと。

まだ日の高いうちから

今日も安着祝いでかんぱ〜い!

三男だけは特別のお子様ランチだけど

長男次男はいっちょまえの大人料理。

父ちゃんの楽しみはコレ。

おいしいんだよな〜。

このどぶろく。

腹が少し膨れると

すぐこれが始まる。

どこに来てもあまり変わらないな。

離れて座れば喧嘩しないと思うのは

大人の都合で

喧嘩しながらもくっついていたいのが

兄弟というものなのだろうな。

観光地を巡ると

いろんなところでアイスやソフトといったものが

売っているのだけれど

「今食べるのと夜食べるのどっちがいい?」

と選ばせた結果

長男次男は夜までガマンできた。

あ〜飲んだ食った!

部屋に戻ってまだ19時台。

僕は部屋に帰って

諏訪大社4社めぐり達成の印にいただいた

非売品のしおりを見てニンマリしているところで

意識を失う。

おやすみなさい。

最終日につづく。

ブライトウ⑧諏訪満喫


2018年04月03日

車を走らせること1時間。

諏訪の町に来ました。

諏訪といえば諏訪大社!

何にも知らない僕は

諏訪大社って一社だけだと思ってた。

調べてみると

諏訪大社(すわたいしゃ)は、

長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社で

信濃國一之宮。

神位は正一位。 

全国各地にある諏訪神社総本社であり、

 国内にある最も古い神社の一つとされているそうです。

諏訪大社の歴史は大変古くて

古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、

そこに国を築いたとあり、

また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。

諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がなく

代りに秋宮は一位の木を

春宮は杉の木を御神木とし、

上社は御山を御神体として拝しているそうです。

古代の神社には社殿がなかったとも言われている中、

 諏訪大社はその古くからの姿を残してるということらしいのです。

諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神で。

 また武勇の神として広く信仰されて、

現在は生命の根源・生活の源を守る神として

 御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れているのだとか。

なんと

諏訪湖を挟んで

南に

上社前宮(かみしゃまえみや)

上社本宮(かみしゃほんみや)

北に

下社秋宮(しもしゃあきみや)

下社春宮(しもしゃはるみや)

の4つの社があって

その4つで御朱印を授かると

非売品の記念品をいただけるとのこと。

これは是非とも行かなくちゃ!

と燃えているのは父ちゃんだけですが。

まずは上社前宮へ。

諏訪信仰発祥の地として

八坂刀売神(やさかとめのかみ)が祀られています。

諏訪大社4社のうちで唯一

4本の御柱(おんばしら)の近くまで行けるのが

ここ前宮。

4社のそれぞれに1〜4の御柱があり

それを7年に一度新しいものに変える

御柱祭りというものが有名です。

前回は平成28年、2年前だったので

これを知ったヨメさんは

「5年後にまた来たい!!」

と珍しく乗り気。

彼女が口にしたので

たぶん来ることになるのだろう。

写真は撮りたかったけど

あまりの神々しさで

とてもじゃないけど撮る気にもなれなかった。

それぐらいに

川の流れは清らかで空気も凛と澄んでいる

聖なる存在がそこに鎮まっているということが

肌で感じられるそんな空間でした。

ここでの不敬は許されないと

僕自身の魂がしきりに訴えてきているような

そんな感覚でした。

社はそれほど大きいというわけではないけれど

まわりの杉の巨木は

相当な歴史を感じさせる風貌で

古代の人々は山や海など

自然そのものを神として崇めるという

考えを持ち

その社や神殿は案外小柄でシンプルなものが多いのも

特徴なのかもしれません。

まずは上社前宮での御朱印を授かります。

つづいて

車で5分ほどで到着したのが

上社本宮。

我が国最古野神社の一つであり

建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀ってます。

信濃国の国づくりをされたのち

日本国土の守護神として

この地にお鎮まりになりました。

全国2万5000社の諏訪神社の総本社です。

これも写真は厳しかったのですが

硯石(すずりいし)というものがあり

そこに神様が降りてくる場所だとのこと。

鳥肌立ちました。

本宮の前には仲見世が少しだけあり

ピンときたところてんを食べてみた。

このところてん、

僕が生まれてこのかた食べた

ところてんの中で一番美味しい!!!!

子どもたちにも食べさせたら気に入ったので

結局これも家族全員分追加で注文。

からしはちょっときつかったみたい。

ここでも御朱印をいただき

これで御朱印は2つ。

さて

諏訪の町中を車で走り

諏訪湖のほとりにある

諏訪高島城に来ました。

諏訪の方々にとって

この諏訪高島城の復興は悲願だったとのこと。

とても渋くて立派な天守

かっこいいです!

天守の中は残念ながらコンクリ造りの

歴史資料館のような感じ。

ここ諏訪高島城は

諏訪姫と言われた

由布姫のご当地で

当時は諏訪湖のほとりにあったことから

諏訪の浮城と呼ばれていたそうです。

こないだまで見ていた風林火山で

なんども見た諏訪湖のほとりです。

天守からの眺めも良く

諏訪の町は本当になんだか穏やかな雰囲気が流れていて

とても心地よく感じます。

下に見えるのが冠木門(かぶきもん)と冠木橋(かぶきばし)

これが一番見所とされる

高島城の構図です。

場所を移して今度は

立石公園展望台へ。

ここ諏訪湖は

映画「君の名は」の糸守湖の

モデルとなった湖といわれており

ここ立石公園からの眺めが

映画で出てきたシーンとなっているようです。

聖地巡礼?に来ている人がたくさんいて

長男もそのうちの一人。

写真右下に遊具があって

子どもたちはそれに夢中。

諏訪湖の見えるこの公園は

ヨメさんも気に入ってくれたようで

概ね機嫌が良い。

 

 

お腹が空いたので

信州そばを食べることに。

今日も天気が良く

暑いくらいの陽気なので

冷たいお蕎麦がおいしい!

上はそばもり3.5人前。

長男には特別に一人前の天ぷら付きで。

角のたった細めで固めのお蕎麦の

香りが良くて甘くて美味しい。

いやぁ〜満腹!

実はこのお蕎麦やさんは

下社秋宮のすぐ近くにあるのです。

諏訪の家紋がかっこいい!

ここには

日本最大級の出雲型の注連縄

国歌君が代に歌われている

さざれ石

相当古い時代からここにあったのがうかがえ

感無量です。

社内をあるいていると

下を見てキョロキョロ探し物をしているような

女の人がいたので

「探し物ですか?」と声をかけたら

ここには三葉の松(みつは)というものがあり

通常2つに割れている松の葉が

3つに割れているものがたまにあるそうで

それを見つけると幸運がくるとかなんとか。

じゃあうちも!

と探しても全然見つからない・・・。

と思った矢先、

全線違うところで

ヨメさんがゲット!

本人曰く

「呼ばれるように手に取ったら

それだった。」

とのこと。

やはり彼女はもってる!

しかも2本も!

このドヤ顔。

こちらでも御朱印をいただきました。

つづいて

下社春宮。

少し離れたところに下馬橋(げばばし)があります。

諏訪大社に来るときは殿様だろうが将軍だろうが

ここで馬や駕籠から降りるというのがオキテ。

この下馬橋は下社で一番古い建造物で

周りをすぐに道路が通り

車がバンバン通るのですが

この下馬橋だけは動かしてはならん!!

との意思が伝わってくるようです。

 

結いの杉

良縁にめぐまれますように。

社のそばに川が流れていて

この川の中州が「浮島」と呼ばれていて

どんなに川の水があふれても

この浮島が沈むことはないというのが

諏訪七不思議のひとつだそうで。

少し歩いて

万治(ばんじ)の石仏へ。

なんでも山から切り出してきた石を削ろうとしたところ

削ったところから血が出てきたので

あわてて石仏にしたという言い伝えがあり

願い事を唱えて時計回りに三周回ると

願いが万事叶うとのことでしたので

みんなでやってみたら

ご覧の通りに逆時計回り。

なんとも我が家らしい。

せっかく諏訪大社に来たのだから

ずっと持てるようなお守りをこどもたちに!

ということで

ご神域で育った杉の木を使った

お守りを3つ。

諏訪大社の御朱印もすべて授かりました。

これで諏訪大明神のご加護があるといいな。

ここからまた高速で移動。

一応スケジュールには記載されていた

上田での砥石城攻略はここで断念することに。

でも、

一片の悔いなし!!!

諏訪、楽しかった!!!!

 

つづく。

 

ブライトウ⑦天下第一の桜高遠城


2018年04月03日

旅行の計画を立て終わり

旅行まで一週間を切り

しおりも最終稿をプリントアウトして

あとは行くだけ!

という頃。

僕はこんな情報を耳にした。

「旅行中長野は桜がちょうど咲くかもしれない」

長野まで行くのなら

少し足を伸ばして

高遠城の桜を見にいくべき!!

というかそんなチャンス滅多にない。

ということで

高遠さくらについてネットで少々調べてみた。

すると

僕は全く知らなかったけど

弘前の桜(青森)

吉野の桜(奈良)

そして高遠の桜(長野)が

日本三大桜の名所として有名なのだそうです。

地理上、東海や北陸、関東からも人が集まるため

高遠の桜=渋滞

満開時期の城の周りは車で近づいてはいけない

というのが地元の人の暗黙の了解らしく

相当の混雑が見込まれるとのこと。

僕らが止まった長野県上田市からは

約2時間かかる。

ネットで調べた結果

渋滞を避ける方法は以下の通り

①アクセス

伊那インターから高遠まで渋滞すると

二進も三進もいかなくなるので

 高速の伊那インターは使わない。

【結論】

一般道152号線で上田から諏訪を通り北から高遠へ入る

②駐車場

朝6時から駐車場が開場するので

 開場を現地で待ち、車を止めること。

決してお城の近くの駐車場に停めないこと。

9時過ぎ頃から混雑し

出るに出られなくなる。

【結論】

 混み出す前の早朝6時を狙い

少し離れた駐車場から20分ほど歩いて

お城に入り、1時間ほど散策し

7時半頃には高遠を脱出する。

 

 

 

観光客が高遠に桜を見に行き

全く調べないで行って

渋滞にハマり

その後の予定が全て崩れる。

そんなパターンがたくさんあるそうで

なんとかそれにはまらないように

なんと上田のホテルを

まだ暗い早朝4時に出発。

やはり2時間かけて

停める予定にしていた

高遠中学校(臨時駐車場)へ到着。

アレレ?

開場してない。。。。

どうしようかと思い

散歩中のおばさんに聞いてみた。

「高遠中学校の駐車場開いてなくて

お城の近くに停めると

渋滞で出られなくなるって聞いたんですけど」

するとおばさんはクスリと笑って。

「こんな早くに誰も来ないから

近くの駐車場に停めても平気よ」

と教えてくれた。

ほんとか?

と思いながら恐る恐るお城の周りを一周しても

おばさんの言う通りに

さっぱり車なんかいない。

しかも有料駐車場の係りの人さえ来ていない。

ということで

開いていた歴史館前の駐車場へ。

 

こちらは南側なので

桜が満開!

階段を登って

城址へ向かう途中も桜ばっかり!

 

高遠湖が見えます。

 

本来なら入場料がかかる関所なのですが

なにせ係りの人がいません。

あとでお金を払うことにし入場。

まだ日がのぼってまもないので

まだまだ寒いです。

ここ高遠城には

固有種の高遠コヒガンザクラが

1500本あり

【天下第一の桜】として

毎年多くのお花見客でにぎわうのだそうです。

高遠苑

残念ながら時間外のため

入場不可。

高遠一番の見所と言われるのが

この問屋門と桜雲橋

満開になると

桜のハートが現れるんだって。

問屋門。

見張り櫓

高遠コヒガンザクラは

まだ5分咲きといったところで

これから見頃を迎えるようです。

最盛期は人で溢れかえるこの桜雲橋も

貸切状態!

「高遠きたど〜!」

7時前になってやっと城内に人が現れ始めて

お店もちらほら開いてきました。

せっかくなので

「桜おこわ」を一つ注文

食べてみたらすごく美味しかったので

結局全員分注文。

しっかりと桜の香りがして

すごく美味しい!

おばさんに教えてもらった堀の跡。

ヨメさん曰く

「去年行った動物園あるお城みたい」

それ、小諸城だよ。

確かにそれくらい深い堀というか

断崖です。

もう一度

満開の南側へ。

 

 

 

 

いい写真撮れた!

三人で桜をバックに

西郷どんジャンプ!

美術館前の桜も見事。

 

 

桜まんじゅうをパクつく。

城めぐりは嫌だ!

と言っていたヨメさんも

ご満悦の様子。

早起きしてよかった!

駐車場にもどり、

近くにある絵島囲い屋敷へ。

有名な大奥最大のスキャンダル

絵島事件の絵島が遠流されたのがここだそうです。

時刻は8時前。

駐車場には管理人のおじさんがいたので

料金を払おうとしたら

「もう帰るんでしょう?

だったらお金はいらないよ」

と言われたので

山形から持ってきたお菓子をあげたらすごく喜んでくれた。

こんなに喜んだヨメさん久しぶりに見た!

少し無理して来てよかった!!!

大満足の天下第一の桜高遠城址を後にして

次の目的地を目指す。

つづく

 

ブライトウ⑥美味だれ焼き鳥リベンジ


2018年04月02日

夕飯はここに決めていた。

上田市の名物

美味だれ焼き鳥ではナンバーワンの呼び声高い

お店。

昨年家族で訪れて

様々な感情を味わったお店。

そこに敢えてリベンジです。

昨年の様子

さて予約をとる際に昨年は

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「初めてなのですが、家族5人でそちらにお邪魔したいと思っていますが

これから予約できますか?」

と丁寧に聞くと

「はぁ〜。(ん?ため息?)うちは6時から開けるお店なので

その前に言われても困ります。

6時に空くのでその時まで来てみてください。」

とため息まじりに超そっけない対応。

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それを踏まえて

・県外から来ていること

・子供連れであること

を伏せ

「5人ですけど席の予約をしたい。

今駅前なので今から向かえます。

15分後くらいにはいけると思います。」

と言うとすんなりオッケー!

去年はできなかったお店の予約ができた!!

第一関門クリア!!!

 

ほぼ時間通りにお店の前に到着。

中に入ると去年と全く同じ場所が

リザーブしてありました。

席に座り、去年は

=====================

「注文は聞きにくるからそれまでは声かけないで」

と言い放っておばさんはいなくなった。

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という経験から

決してこちらから声をかけずに

我が家で注文するものをじっくり選んでいると

「ごめんね〜!今行くからちょっと待ってね〜!」

と、声をかけてもらった。

 

んんんんんんんんんん?????????

何かが違うぞ!??

今年は!

手が空いたおばさんが

注文を取りに来たので

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子どもたちは腹減っていると思うので

お腹にたまるサイドメニューの焼きそばを注文。

すると

「焼きそばは一番最後になるけどいい?」

と言われたので

子どもたちお腹すいてるので出来たら先に出るものが欲しいと

冷静に伝えると

焼き台を使うので焼き鳥を焼き終わった後最後になるとおっしゃる。

「じゃあ焼きそばじゃなくても

先に少し早く出るものないですか?

この焼きおにぎりは?」

と聞いた瞬間おばさんは調理台に向かって

「焼きおにぎり食いたいんだって〜。無理だよね〜!」

と大声で叫び

「4個だけならできるって」

と妥協案で調理台に了解をとってきた。

・・・・なんじゃそりゃ・・・・・

 

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という経験を活かし

お腹の空いた子どもたちには事前に

おにぎりを一つづつ食べさせ

焼き物を一通りと

飲み物を注文し

おばさんが料理を運んでくるタイミングを狙って

飲み物や食べ物を追加で注文。

 

やっぱりここの焼き鳥はうまい!!

みんな大好き

バクバク食べます。

おまけに上田はからあげも

名物にしようとしているとのことで

ここのからあげもめちゃくちゃうまい!

昨年の反省点として

このおばさんの写真が一枚もなかったこと。

「このおばさんがこんなこと言ったんだぜ〜!」

って言えなかったのがすごく残念だったので

こっそりパチリ。

しかし、

僕の期待とは裏腹に

「ちょっとまってね〜」

「今行くからね〜」

「はいありがと〜」

と、去年は一度も聞いたことのない

言葉がおばさんの口から飛び出す。

去年はおばさんと目が一度も合わなかったので

注文できなかった長野の酒も

たっぷり堪能。

奥様も酩酊のご様子。

今年もこどもたちに

「もう肉いらない」

と言わせるまで食べさせて終了。

お会計の時には

長男が得意のコミュニケーション能力で

「僕たち山形から来たんです。

ここにも去年来て美味しくってまた来ました」

なんていうと

「わざわざ山形からありがとうね〜」

と相手してもらっていたり。

店主のおじさんは

安定の腰の低さで

今年もとても感じがよく、

夫婦二人で切り盛りしているお店って感じで

楽しく食事とお酒が飲めました。

 

昨年の僕はこんな感想

 

==============================

ここからは僕の憶測だが

1一見客であること

2子ども連れであること

この二つがおばさんの態度を硬化させていたのかとも思うが

カウンター席のおじさんもビール注文しようとして

今声かけるなと怒られていた。。。

子どもは通常あんまり食べないので

いいお客様じゃない(あまり売り上げに貢献しない)

から嫌がられたのだろうか。

その割にうちの子たちはよく食べて

結構飲み食いしたのでまぁまぁよしと

思ったのかどうか。

真意は謎のままだが

接客は最悪だがお店は常に満席。

要因は本当に美味しい焼き鳥の商品力であると断定。

ただ、

広い店内、注文とドリンク提供と配膳を

一人でこなすおばさんは

いっぱいいっぱいの毎日が続き

そういう対応をせざるをえなかったのではないかなと

考えたりする。

 

が、

 

自分もサービス業に携わるものとして

反面教師としての意味で

大変勉強になりました。

タクシーの運ちゃんといい

焼き鳥屋のおばさんといい

上田は城下町だからか

長野が盆地だからか

よそ者を受け付けないような雰囲気を持っている人が

全てではないがいるということを

感じる出来事で

山形がおもてなしとか

人が温かいとか言ってもらえる意味を

改めて感じました。

 

ウマかったからよかったものの

これで不味かったらシャレにもならなかったところだが

 

いいネタもらったと思って

よしとすることにしよう。

 

=================================

今年は

去年とはお店が違うんじゃないか?

というぐらい対応がよく

「あそこはちょっと・・・」

と言っていた長男も大満足。

 

去年から一年間かけて

このお店のことは会話の中で

たくさんの方にネタとして提供し、

その反応も様々。

「そんな店絶対に行かない!」

という方がいる反面、

「そういう店だと思って行く」

という意見も。

一見だから、子供連れだから

僕ら家族が嫌われたのか?

という問いに対しては

「誰にでもそうなんじゃないか」

ということで納得した。

じゃぁ、どういうことなんだ?と言ったら

お客様の一人に言われた

「正直で不器用な人」

ということで納得した。

じゃぁなぜ今年はこんなにも

対応が変わったのか???

 

僕の憶測としては

①ネットや口コミでおばさんの塩対応が叩かれた

②お客様が減り、お客様を大事にしようという気持ちが

おばさんの心に芽生えた

③去年は夫婦喧嘩の真っ最中で機嫌が悪かった。

今は夫婦円満

 

なんてことが考えられるが

去年は美味しいけど他の人に行ってみろって

勧められない・・・

と思っていたが

今年は「あそこ美味しいから行ってみて!」

って言えると思う。

上田といえば

鳥正(とりまさ)

美味だれ焼き鳥がおいしくて

元気なおかみさんがいるお店です!

 

去年来なかった上田駅へ

外から見たけど中には入んなかったんだよね。

 

明日も早いし早々に寝ることにします。

 

では1日目終了。

2日目につづく。

 

 

 

ブライトウ⑤上田城


2018年04月02日

こんにゃくパークから1時間ほどで

上田城到着!

去年は一旦ホテルへチェックインしてから

歩いて向かったのだけれど

今年は直接駐車場へ。

すると

あまりに興奮した長男

鼻血を出す。

 

 

去年とは大きく違って

桜が満開!!

 

隅落とし。

鬼門の方向の隅を欠けさせた

上田城独特の造り。

堀の周りは桜が・・。

堀をぐるっと回って見えてきたのが

櫓門。

すごい!!!

桜があるだけで

こんなに表情が変わるなんて!!!

これが撮りたくって

一眼レフ買ったんだよ〜。

かっこいいな!上田城!

さっそくパチリ。

お約束。

真田時代の水路の穴。

 

一旦門をくぐったものの

僕の視界にあるものが入ってきたので

もう一度門の外へ全員連れて戻る。

僕の目に入ってきたものとは

ズバリ

プロのカメラマン!

厚かましくも「写真撮ってもらえませんか?」

とお願いすると快くオッケー!

 

設定は僕ですが

さすが構図はバッチリ!

ありがとうございます!!

去年は雨が降り出したので

そそくさと

さらっと急いで見て回った本丸周辺。

真田神社へ行ってお参り。

御朱印もこの間授かったので

今回は(もらわなくて)いいかぁと思ったら

なんと春限定御朱印があるというので

結局全部授かっちゃいました。

でもかっこいいので大満足!

真田の大兜。

通りすがりのおじさんを捕まえて

とってもらったらこうなる。

やはり構図は大事だと思う。

え?これ見てない!

と帰ってきてから思った真田井戸

城外への抜け道になっているとかいないとか。

上田原合戦の時に信玄公と昌幸

が兜をかけたと言われる兜松。

前回は雨降ってきたからここまで来なかったんだよね。

伊勢神宮の方向を示す礎石があって

なんと一番古くて現存で

一番の見所のはずの西櫓も

去年はスルー。

西日がきれいです。

西櫓から見る上田公園

昔の尼が淵と言われる川だったところ。

こんなところにあったの?

と言いたくなるようななんどもウロチョロしたところに

本丸跡の碑。

見たことないと思ってたけど

よく見てなかっただけでした。

もう一度門をくぐって

階段を降りて

堀を歩き

お城の高低差を確認します。

この辺の土は

上田泥流層といって

やわらかく、加工しやすいけれど

くずれにくく、水を通さないという

まさに城作りには最適の地形。

しかもこのあたりは当時川になっていて

天然の堀として南側の守りは鉄壁。

石垣の積み方にも

時代や当時の使用用途による考え方が伺えて

すごいおもしろい!

桜も満開で

あったかくって

なんともゆったりとして

上田城を満喫!

去年は雨降ったし寒かったし

ここまでのんびりできなかったんだよな。

もう一度西櫓付近から階段を登り

本丸を通って城外へ。

今回はこれで上田城はさよならだよって言ったら

とても切なそうな表情をみせる長男。

よっぽど好きなんだな〜。

お城の目の前にある

上田観光センターの二階には

前回行かなかった

サマーウオーズコーナーがあったり

真田丸の兜があったり

下がお土産やさんになっているので

前回は見向きもしなかったけど

見所たくさん!

出演者のサインや

草刈さんになりきって

 

サマーウオーズノートに

自分の足跡を書き残す。

あまりにも食いつく我が子たちを見て

観光センターのお姉さんが

特別に非売品うちわをくれました。

ありがとうございます。

お腹が空いたので

ホテルへチェックインして

あのお店で食事を。

さて、リベンジなるか???

 

つづく

 

 

ブライトウ④こんにゃくパーク


2018年04月02日

沼田インターから高速に乗り

目指すは富岡のこんにゃくパークへ。

こんにゃくパーク

なんといっても

群馬といったらこんにゃく!

名物の味噌おでん(山形でいうと味噌田楽)のことを

ケンミンショーで見て知ったヨメ様は

下仁田の山道にある古いドライブインで昼食をと言いだした。

ナビで調べてみると、予定ルートより大幅に外れており、

しかも、相当な山越えが待っている・・・。

なんとかそれだけは避けたい僕は

ネットでこのこんにゃくパークを発見。

ここはこんにゃくのテーマパークで

工場見学から製作体験、

そして無料こんにゃくバイキングが食べ放題!

平日のお昼過ぎですが

けっこう人がたくさんいます。

受付を済ませ

バイキングコーナーに少しですが並びます。

ここの試食は試食というレベルを大幅に超えていて

無料での食事の振る舞いといった感じです。

これがおめあての味噌おでん。

何本でも食べ放題ですが

そんなにたくさんは食べられませんね。

 

山形名物の玉こんにゃく。

山形の玉こんも、材料はここ群馬からきているとこと。

味付けは山形の方がうまい!

と僕は思うのでした。

本日の僕の昼食

味噌おでん

玉こんにゃく

こんにゃくラーメン

レバー風こんにゃく

ピリ辛こんにゃく

ゆずこんにゃくの酢味噌がけ

ヘルシーで大満足!

たくさん食べてもらって

美味しかった!と思ったものをお土産として

買って帰ってもらうというのが

ここのコンセプトのようです。

みんな満腹大満足!

なのだが・・・

 

浮かない顔をしている人が一人。

ヨメさんだ。

 

実は岩櫃城の本丸を見学した後、

ナビから誘導された道は

とても狭く、曲がりくねった山道で

やだな・・・

と思いながらも、通常の道路が通れずに

迂回するルートだからしょうがないかと進んでいると

左側が崖になっているスライド不可能の細い道に差し掛かった時

大きな音を立てて

右側に大きく車が傾いて止まった。

何が起こったのかわからなかったが

脱輪してしまったようだ。

 

自分では意識しなかったのだが

右側に寄ったようで

その右側には枯葉が積もってその姿が

全く見えなくなっている側溝があった。

 

ヨメさんは

「JAF呼ばないと!」

と大慌てだが、こんな山奥まで来るのには

すごく時間もかかるし、

まずは自分でできるだけ脱出してみようと

僕が押すからバックでアクセルを踏めと

ヨメさんに言うが拒否されたので

僕が運転し、家族全員で押したら・・・

脱出成功!!!!

不幸中の幸いか

ボディーもほとんど壊れておらず

全体的に傷も見当たらないくらいに無傷で

ほっとしたが、ただ一点、

前輪のタイヤの側面が

豆粒大にえぐれていた。

※イメージ

その当時撮影する余裕なし。

 

触ってみても今どうこうなるという状態ではないようなので

このまま下山をした。

名胡桃・沼田は一般道で移動したので

別にどうってことはなかったのだが

沼田からこんにゃくまでは高速で1時間ほど走ったが

なんとも気持ちが悪い。

思わず口が滑ってヨメさんに

「バーストなんてしないよね?」

といったら最後、

【タイヤ バースト 高速】

と、助手席でスマホで検索しまくるヨメさんから

不安がビシビシ伝わって来る。

ヨメの主張→今すぐタイヤ交換しよう

僕の主張→宿に着いてからタイヤ交換でも間に合う

とすったもんだの話し合いをし

食べたこんにゃくの味も分からず

普通ならお土産を買わずに

いられるはずもないのに

タイヤのことで頭がいっぱいの彼女の望みを聞き

こんにゃくパークを出てすぐに

ガソリンスタンドでタイヤを交換することに。

時間もあまりかからずに交換してもらって

ホッと一安心。

あまりの親の緊張感から

寝れなかった三人は次の目的地まで爆睡。

 

しかし、まさか自分が側溝に落ちるなんて思わなかったし

運転をしくじったつもりは全くないのに落ちたので

本当にびっくりして

ドッキリの落とし穴に落ちた気分だった。

でも

運良く脱出できて

車も壊れなくて

タイヤもすぐに交換できたのは

本当にツイてたなぁと思う。

少々時間が押し気味だけど

安全運転で上田城へ。

 

つづく。

 

ブライトウ③沼田城


2018年04月02日

名胡桃城から車で5分ほど

教科書にも出でくる河岸段丘を登り

沼田の城下町へ。

事前にリサーチした沼田名物の

味噌まんじゅうで有名な東見屋さんへ。

通りも狭く駐車場も探せなかったので

お持ち帰りで城内で食べることにします。

有名人もたくさん来ているお店のようでした。

駐車場を探すと、なんとか一台分のスペースが見つかる。

桜が見頃を迎えるので

結構な人がいます。

駐車場からグラウンドを横切って

一番最初に見つけたのが

真田信之と小松姫の像。

この沼田は交通の要衝のため

戦国時代は多くの武将が欲しがった土地で

この沼田をめぐって徳川家康との

因縁の火種がくすぶり始めるのでした。

犬伏の別れで東軍西軍に真田家が別れた際に

舅である昌幸が信幸の子を一目見ようと

立ち寄ったが、あっけなく小松姫から追い返された。

そんなエピソードも子供たちの頭には

もうインプット済みです。

なにやらしおりに記入中。

遺構としては

真田時代の石垣が少々。

 

ぐるっと周りを歩くことができます。

日本有数の河岸段丘の上にある

天空の城沼田城。

すごい高低差です。

戦国無双?的なカッコイイキャラの

立て看板があります。

沼田城には5層6階の天守があったらしいのですが

いまはほとんど門やら櫓やらは残っておらず

公園になっています。

唯一?のみどころと言える

大鐘楼は桜の飾りをつけて

とても雰囲気があります。

先ほど買ってきた

沼田名物の焼きまんじゅうを桜の下で食べることに。

本当は串に3個づつささってるらしいけど

お持ち帰りなので串には刺さっていません。

肉まんのようなフワフワのまんじゅうに

あまじょっぱい味噌ダレが塗ってあり

それを焼いてあるので

とても香ばしくておいしい!

中に何も入っていないスタンダードなやつと

あんこ入りの2種類があるのだけれど

僕は何も入っていない方が好みだな。

観光協会でお土産を少々。

中でも「沼田城かるた」(500円)は

とても質が高くコスパが高い。

御朱印を受けたいと思って聞いてみると

城下にあるお寺数カ所で授かることができるとのことだが

ここに来る時に、

通るはずだった小松姫のお墓のある

「正覚寺」を見逃して狭い路地のため

戻ることもできなかったので

今回は御朱印は断念。

売ってるハガキでガマンすることにした。

 

そろそろお腹がすいてきたので

ご飯を食べにいこうかな。

 

続く

 

ブライトウ②名胡桃城


2018年04月02日

車で走ること40分。

歴史を動かした小さな城

名胡桃城に来ました!

武田家亡き後、

織田→上杉→北条→徳川→上杉と

主君探しに奔走する真田家。

武田家として自力で切り取った領地の

沼田をその時下に付いていた

徳川が北条へ割譲したことにより

徳川と仲違い。

これが第一次上田合戦。

徳川に勝つも

秀吉が天下を治めかけ

沼田は北条。

名胡桃は真田との裁定を下したが、

沼田と名胡桃は5キロ程しか離れていない

目と鼻の先。

目障りだった北条が勢い余って

名胡桃を攻めた。

自分の許しを得ずに戦をすることを禁じた秀吉は

大義名分を得て北条征伐をし

天下統一へ。

ざっくりいうと

戦国時代が終わりに向かう

大きなきっかけになった小さな城です。

 

駐車場からはすぐで

結構公園化されていました。

入り口から三の郭は

虎口が張り巡らされており

 

二の郭から本郭へかけては

橋や階段が整備されています。

 

 

やってきたのが本郭跡。

この沼田の街を見下ろす景観が

一番の見所!

さぞ北条もこの名胡桃城が目障りだったことでしょう。

一応我が家では名胡桃城は

真田の城という認識ですので

六連銭で祠にお賽銭。

天気もポカポカ・・・

というより暑いくらいの陽気ですので

眠くなる方もいらっしゃるようです。

土塁に柵

それだけでテンションの上がる三人。

この写真には写っていませんが

仮想敵(北条)を追い払っているところだと思います。

そんなに大きな城じゃないので

30分間くらいで見学終了。

しかし、

戦国の城っておもしろいなー。

この城どうやって落とせっちゅーんだ!?

と言いたくなるような周り全部崖だし

相手の動きが丸見えになるような

絶妙な位置にあったりと

先人の知恵が満載でホント感激しちゃうな〜。

 

大満足の名胡桃城でした。

観光案内所に立ち寄り

お約束の武将コスプレ三人分の写真撮影。

売店もない

入場料もないので一切お金を使わず

天空の城下町沼田城へ。

つづく。

今年もブライトウ①岩櫃城


2018年04月02日

朝?というか

夜1:50分に出発し

新しくできた米沢栗子トンネルを通って

5時間かけて今年もきましたブライトウ。

 

最初の目的地は

群馬県東吾妻岩櫃山!

ここは真田丸のオープニングで

出てきた憧れの山!

その中でも

一番綺麗に荘厳に岩櫃山を望むことができる

ポイントは

密岩神社!

本来は岩の石室の中にあり

誰がこんなところに立てたのか?

という場所にあったらしいものを

こちらに移したとのこと。

この時早朝7時ですが

テンションはMAXです!

恐る恐る長男に僕の一眼を預けて

パチリ。

岩櫃山切れてるな。

 

密岩通り登山口から

古谷登山口へ移動し

山道を歩くこと10分

潜龍院に到着!

ここは真田昌幸が勝頼様をお呼びし

この岩櫃城で再起を図りましょうと

進言したのだが、

勝頼は他の重臣を信じて

岩殿城へ向かい、

謀反にあって天目山で自害し

武田家は滅亡したということで

もしも・・・

勝頼様が昌幸を信じてここに逃げてきていれば・・・

と思わずにはいられない。。。

歴史にタラレバはないんだけど

そんな妄想を楽しむのも

歴史の楽しみの一つですね。

さて、岩密神社と潜龍院と

岩櫃で行きたい場所の二つをクリアし

のこるは本丸!

平沢集落にある平沢登り口へ向かいます。

 

が・・・

 

ナビでは

【本丸まであと400メートル】

というところまできておきながら、

まさかの通行止め。。。

なんでも昨年土砂崩れがあり、

その復旧の途中ということらしい。

昨年の土砂崩れ・・・

もしかして

去年、岩櫃に来ようと計画したけど

台風が来るので断念したことがあり

その時土砂崩れがあったと聞いて

行かなくてよかった〜と

胸をなでおろしたのを思い出したが

その時の土砂崩れか!!!!!

 

しょうがないので

大きく迂回する「迂回ルート」の

細く曲がりくねった田んぼ道と山道を通り

なんとか平沢登山口駐車場へ到着。

散歩中の第一村人のおばさんに声をかけると

「本丸へは立ち入り禁止なので行けない」

とのこと。

 

事前にみっちり下調べをして

臨んだはずだったのに

まさかここまで来て登れないとは・・・

 

 

がっくりしたけれどしょうがないので

最後の悪あがきで

登山口までは行ってみることに。

やはり【立ち入り禁止】の看板が。

それでも諦められずに

資料だけでももらって帰ろうと小屋の中へ。

真田丸のポスターや

岩櫃の資料があり

また来ることってあるのかなと思いながら

小屋を出ようとすると

おじさんが一人やってきた。

山形から来たこと

密岩神社と潜龍院にはもう行ってきたことを伝えると

親切に本丸までの距離や

行き方を教えてくれた。

いや、でも今日は行けないんでしょ?

と思ったら

「行けるよ!」

とのこと!

なんでも立ち入り禁止なのは

さっきの小屋までの打ちっ放しのコンクリート部分だけで

登山するには問題ないとのこと!

 

ウオー!!!!!!!!

おじさんありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

思わず一緒に写真を撮ってもらった。

子どもたちは真田丸のセリフ

「望みを捨てぬ者だけに道は拓ける」

となんどもなんども言っていた。

本当に諦めなくて

諦め悪くって良かった!!!

 

道は狭く、曲がりくねっていて

「そこ」しか通れない。

山城歩きはワクワクします。

5分ほど歩くと中城跡。

結構広くて眺めもいい。

ここからが本丸へ向かう本番の道。

あまり写真ではわかりにくいけど

すごく急峻な斜面に

一筋の道。

これは・・・

竪堀(たてぼり)だ。

かなり高低差があり、

周りから待ち伏せされたら

ひとたまりもない作り。

400年前に生きていた人たちの

「殺気」にシビレる〜!!

ちゃんと虎口もあり

登るだけで息がきれる。

戦国武将たちは

ここを甲冑つけて登ったのだと思うと

すごい体力だと思う。

もうすぐ本丸!

ラストスパート!

二の丸に到着!眺めがいい!

二の丸から本丸までの堀切が見事!

やっとこ全員で本丸到着!

本丸城址の木には

真田流のお賽銭は

六連銭で。

東やには登城者ノートがあり

思い思いのコメントを書いていたみたい。

山から拓ける街の景色も見事だけれど

僕にはやっぱり

この竪堀が見事すぎる!

こんな竪堀見たことない!

いや〜諦めなくて

本当に良かった!!!

歩いて下山すると

観光案内所が開いていて

各々お土産をゲット。

とはいっても

ガチャガチャで

僕はピンバッチ(500円)を。

続いて向かうのは

時代を動かした小さな城

「名胡桃城」へ!

 

つづく。

 

 

 

 

 

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