新調


2025年05月21日

リンゴちゃん新調しました。
サクサク動いてくれて
かなりストレス減った‼️
この度はお気に入りだった色
スペースグレーから
ミッドナイトにしてみた。
これも素晴らしくいい色で
テンション上がる!

僕の気持ち


2025年05月15日

あげたいっていうのは
僕の気持ちだから

何にもいらないよ!
って言われたけれど

勝手にやらせてもらう。

好みは分かってるから
問題はサイズだけ。

喜ぶ顔を思い浮かべ
アレやこれや選ぶのは
楽しいものである。



今日は奥様の誕生日。
生まれてきてくれて
ホントありがとう。

デカい!


2025年05月07日

HGUC 1/144 ペーネロペー
RX-104FF PENELOPE
MINOVSKY FLIGHT SYSTEM MOBILE SUIT
閃光のハサウェイを再度鑑賞して
熱が再燃!
今在庫がダブついて比較的手に入りやすく
定価よりも安くなってるので買い時かと。
ガンダムベース限定のクリアカラーverの
透明感を活かしてと思ったけれど
デカくてもHGはHG
内部フレームがある訳でもなく
ダボ穴なんかがかなり目立つので
全塗装することに。
ペーネロペーの重量感重厚感を表現したくて
紫サフ下地のグラデーション塗装
元がクリアパーツなので
日の光に当たると
うっすら紫が透けて見えるのが
今回のお気に入りポイント。
あまりにデカいので
撮影ブースに入らない
飾る場所に困るのが難点だけど
スミイレしてデカール貼ると
見違えるほどカッコよくなった!
大満足のキットでしたー。

長男の立ち位置


2025年05月06日

今日でGWが終わり
帰省していた長男が帰って行った。
3月末に寮に置いてきて
寂しさと悲しさで
どよーんと落ち込む夫婦に
『GW帰るよ!』
の知らせは希望の光だった。
その希望が
ヨメ様の表情を明るくさせてくれた。
その日から長男の帰省を
指折り数える日々が始まった。
彼はあっけなく帰ってきて
何事もなかったように
見事に我が家に溶け込んだ。
11日間と長い休みだったけど
過ぎてみると早いものだった。
離れて暮らして
わかったことが3つあった。
ひとつは
やりたいこと
行きたいところ
会いたい人がたくさんいて
帰省はしていても
家にはあまりいないということ。
それは高校時代と比べても
朝出かけて夜遅く帰ってくることと
さして大きく変わらないことだった。
自分も若い頃の帰省など
そんなもんだったと思う。
ただ、変わったのは
毎日寝に帰ってはこない
それぐらいのちょっとした違い
なのかもしれない。
ふたつめは
山形と千葉に離れてはいても
LINEやビデオ通話など
連絡手段が手軽にたくさんあり
それほどの距離感を感じなかったこと。
昔の自分の時代などとは
比べようもないくらいに
連絡を取り合うのは易しいことであり
寂しさなどあまり感じないのかも知れない。
みっつめは
今回は1か月
今度はお盆まで3か月
お盆から正月まで4か月
そうやっていない時間に少しずつ
慣れていくのだなということが
わかってきた。
毎日食卓にはリクエストご飯が並び
嬉々として料理をする母の姿
米の炊く量と洗濯物が劇的に増え
リビングがまた少し窮屈に感じたが
家族の距離は縮まり
密度温度熱量が
上がってくる
それが我が家における
長男の立ち位置だったのだと
1か月の空白期間を経て実感する
天気には恵まれないGWだったけど
時間と都合の合う限り
みんなでバットを振り
キャッチボールをした。
最終日の今日、
早起きして温泉へ行き
朝食前にモス2つ食べ
母の朝飯も食べる
帰省最後のご飯はカレーになった。
前回の千葉から
我が家のサヨナラ飯は
カレーということになったらしいし
みんなで納得しているようだ。
母と彼女のこれでもか!
というくらいのおもてなし料理に
体重大増量だけれどそれでいい。
そして時間の許す限り
また3人でバットを振り回す。
言葉を交わすよりキャッチボール
多くのものを伝え合ってるように思う。
今回は家で見送った。
ヨメさんはやっぱり泣いていたが、
自分は3ヶ月すればまた元気な顔見れる
そう分かったから
せつなさはあったけど涙は出なかった。
ヨメは寝込むのか?と思ったけど、
庭の草を抜き出した。
一心不乱に寂しさを感じないように
心を無にしたいのだろう。
線路が近いので
電車の時刻に合わせて見送ってみたが
どこにいるのかは分からなかったけど、
母のピンクのパーカーのおかげで
本人には分かったらしい。
また元気に会えるように
山形千葉別れているけど
各々抜かりなく‼️

産んだご褒美


2025年05月05日

僕が花を贈っても
喜んでくれる。
喜んではくれるけど
そこまで。
泣きはしない。
しかし息子が誕生日に
母へと贈る花は
毎回母を泣かす。
誕生日というものは
母が1番苦しんで命懸けで
自分を産んでくれた日だから
プレゼントをもらうのではなく
母に産んでもらった感謝の言葉と
逆にプレゼントを渡せる人間になれ
長男にはそれこそ小さな頃から
言い聞かせた。
春から社会人になり
父の古臭い教えを
愚直に実行に移し続ける長男は
僕の誇りである。
毎回泣くほどに喜ばせる長男に
泣いて喜ぶ母を見て
本来ヨメさんの涙など見たくはないけど
感動して嬉しくて
目から溢れ出る涙なら
それも悪くないとも思える。
だって今日は母が君を
命懸けで産んでくれた日だから
ご褒美は感動の涙。
それでいい。
それがいい。
よくやった長男。
対母親のキラーコンテンツ
また鉄板来たとか
ちょっと毎回これで泣かすの
ズルくない?と父は思いつつ
産んでくれてありがとう。
生まれてくれてありがとう。
父は感謝しか出来ないのです。

伝統とは


2025年05月04日

我が家のこの伝統
いつから始まった?
長男から聞かれた。
子どもたちがまだ小さく
子育て専業だったヨメ様に
誕生会の会場装飾をまかせたところ
彼女はきまぐれに
カレンダーの裏に手書きのメッセージを
書いてくれた。
『うまれてくれてありがとう』
まさに気まぐれで書いた物なので
毎回書くと言う訳でもなく
気が向かないと書かない。
兄の誕生日には手書きの装飾があるのに
弟の時に何もないのは
ちょっと気の毒だと思い
ダンボールの裏に
誕生日メッセージを書き始めた。
あれから10数年
誕生日のメッセージは父の役割となり
年3回書き続けた。
毎回変わり映えはしないけど、
今ではサッと書けるようになった。
もう一つ言うならば
最初は買ってきたケーキを
みんなで食べていたが、
誕生日には家族みんなでワイワイ
ホットケーキを焼いて
それを誕生日ケーキにしてる
と言う話を聞いて
手作りのケーキを用意するようになった。
自分たちで思い思いにペタペタ塗り
作るケーキは格別プライスレスである。
子どもたちにとって
人生の大半、誕生日という節目に必ずあるもの
それを我が家の伝統と感じている。
伝統と呼ばれるものの
始まりのきっかけはほんの
些細なことなのかもしれない。
子どもたちが親になった時
きっと思い出すはず
我が家の伝統のことを。
父の思い母の思い
そして君が生まれてきてくれて
こんなにも世界が輝いて見えた
1日早いけど
生まれてくれてありがとう。

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