スイングスピード選手権 2024年12月17日 絶対に一位取る! と意気込んで臨んだ スイングスピード選手権 見事に撃沈! 長男高校生の部3位 三男小学生の部圏外 まだまだこれから 練習あるのみ!だね! 3位の賞品は グラブピローでした。
これまでにこれからに 2024年12月11日 もうなんでもいいや… と何もかも 投げ出してしまいたい… という程の出来事があった今日。 それでも 今やりたいこと、 やるべきことがたくさんあったから なんとか自分を奮い 保つことができた。 情熱を注げるものがあり 守るべき愛する家族がいる それにどれだけ 救われているのだろう。 改めてこれまでに これからに 感謝。
今年イチバン! 2024年11月30日 久しぶりに夫婦でレイトショー。チケットの有効期間が今日で最終日なので特に見たい映画があった訳でもなかったけどムダにしてなるものか!と期待せずにほんとにホントに期待せずに見たアングリースクワッド公務員と7人の詐欺師 今年1番の映画でした!(今年あんまり映画見てない個人の主観)役者さんは上手だしストーリーも伏線回収も素晴らしいよく見たら『カメラを止めるな』の上田監督の映画でなるほど納得のエンターテイメントやっぱり映画って皮肉なことに期待値が低い方が楽しめちゃったりするんだよねー。笑ってドキドキしてめちゃくちゃリフレッシュ出来た。いや~映画って良いものですね〜。(水野風
兄の激励 2024年11月25日 これからひと冬 しっかり振れよ!って 長男からの贈り物。 スポ少は終わりだけれど 弟の野球のこれからを考えて 兄の激励だ。 長男は優しい 三男の成長を活躍を 心から喜び応援している。 そんな兄の思いを受け取り ますますガンバレ! 我が家の秘蔵っ子三男
最後のノック親子試合 2024年11月23日 親子試合と最後のノック 天候が悪く、開催も危ぶまれましたが 笑顔で取り行うことができました。 これにて スポ少ほぼ終了。 また一つの区切り節目がやってきました。 家に帰り 『3年間、一度も弱音を吐かずによくがんばった!』 と抱きしめた。 入団時に僕のお腹あたりにあった頭は 今、アゴにぶつかっている。 照れくさがり すぐに離れるのかと思いきや じっと動かずにいた。 鼓動で分かる 彼は泣いていた。 『イヤなら辞めてしまえ』 そう言われて過ごした3年間 辛い事とか イヤなこととか たくさんあったはず だけど、 チームで1番最初に 弱音を吐く人間になるな 弱音を吐くなら チームの1番最後に 吐く人間になれ その父との約束を 彼はキチンと果たしてくれた。 仲間に恵まれ 指導者に恵まれ 自分の子のように思ってくれる 保護者に恵まれ 家には 2人の兄コーチがいて 三兄弟の中で 1番早く野球をはじめた 始めることができた。 その恵まれた環境の中 出来ないを出来るようにと 精いっぱい取り組んだ 後逸もなんとか止めろ リードも考えろ 盗塁も刺せ そして打て ありがたいことに チームが勝つほど試合は増え 1日2試合 多い時には 土日で4試合 酷暑にマスクを被るのは まだ小さな体では 体力的にも キツかっただろう 思えば酷な要求だなと 胸を痛める時もしばしば。 ちょくちょく 涙はこぼしたけど 辛い時も苦しい時も 笑顔を絶やさなかった。 最後までやり切った 我が子とは思えないほどの あっぱれな学童野球だったと もう一度褒めてあげたい。 今度は次のステージでの活躍を 父も母も兄たちも 楽しみにしてるよ。 振り返れば ホントに親も楽しいひと時でした。 最後に一言 生まれてくれてありがとう!
降り積もる言葉たち 2024年11月19日 子どもを健やかに育てたかったら 絵本を読み聞かせするといいよ 絵本は選び抜かれた言葉に溢れ その絵本の言葉が 少しずつだけど確かに 子どもたちの中に積み重なり その言葉を元に考え、 思考を深めて、 情緒を育んでいく そう教わり それを信じて 子どもたちに 毎日読み聞かせた 絵本が本棚に並ぶ 【めのまどあけろ】 【もこもこもこ】 何度読んだかわからない 子どもの夢応援イベント 夢をありがとうでは 参加してくれた子どもたちに 【すきノート】をプレゼントした。 谷川俊太郎さんが亡くなり 寂しいとも悲しいとも言えない 心の一部が削げ落ちたような気持ちだが きっと世の中の子どもたちの心に 谷川俊太郎さんの言葉は この先も生き続けていくのだと思う。 ご冥福をお祈りします。
新規オープン 2024年11月18日 先月閉店したノブ科学模型社の後釜 オープンしたばかり山辺の ホビーショップ ロックモデル に行って来ました。 昨日のオープン時には かなりの行列が出来たらしいのですが 今日はすんなり入れました。 お目当てのものは ありませんでしたが 店主さんに 『積みプラ増えちゃって』 と話したら ある人が言うには 1000を超えないと 積んでるとは言わないそうですよ そう言われて 自分はまだまだだなぁと 少し安心して連れ帰った ガンダム エクシア。 ドンドン減ってく個人店 末長くお世話になりたいものです。
過去をめぐる旅 2024年11月11日 今日は日記に書くのが いやになるくらいの 長編スペクタクルな1日だった。 ホントに長いので 時間ある人だけどうぞ 発端は9月、三男の埼玉で開催された 全国大会の宿が東京錦糸町になり 朝食の時間まで帰る! と朝早起きして始発に乗り 靖国神社を初めて参拝。 僕の祖父は戦没者である 参拝を済ませて普段なら すぐに帰るとこれだけれど、 その時なぜか宮司さんに 話かけてみようと思った。 山形から来たこと 祖父が靖国に祀っていただいてること 東京に10年住んでいたが 一度も来たことがないこと 手短に話をすると、 『御霊はご遺族が来てくれたのを 喜んでくれてますよ』 この言葉が心の琴線に触れた もう自分でも訳が分からないくらいに いろんな感情と涙が溢れた。 その感情とは 顔も見たことのないじいちゃんが 孫が来てくれたことを喜んでくれてる! という実感を得られたこと 2つ目は 10年も東京に暮らしながら 一度も手を合わせたことのなかった 若かった自分への不甲斐なさと情けなさ そして3つ目は 自分の父が、戦犯と合祀されてるという理由で (俗に言う靖国問題)参拝をしたことがない。 ということ。 それは個人の考えであり尊重すべきと思うが その理由で実の息子から手を合わせてもらえない祖父の悲しさ寂しさを思うと 涙が止まらず 泣きながら歩いた。 50のおっさんが 涙を流しながら思ったのは 父親がどう反応しようが、 この度感じたことを全部ぶつけてみよう そしてあわよくば 靖国でじいちゃんと会わせてあげたい。 そう思い九段下を後にした。 そして10月、三男の誕生日と銘打って 父と酒を飲んで思いをぶつけた。 やはり最初は 『行かない』の一点張りだったが、 今回は引けない理由があった。 父を幼い頃に戦争で亡くし 面影も残らない父(じいちゃん)に対して 85歳になってもまだその思いを 消化できずにいる僕の父 誰と合祀されていようが 伊藤久吉命(いとうきゅうきちのみこと) となり一柱として祀られてる肉親に 顔を見せ、手を合わせてもいいだろう ヨメからは『せっかくの誕生日なのにケンカしないで』と心配されるほど そう懇々と話し合った どちらも譲らなかったけど 結果、 『分かった行く』 と言わしめた。 正直85歳の父親が 今までの考えや信条を改めるとは 思っていなかったんだけど、 熱意は伝わるもんだなと思った。 せっかくなので じいちゃんの子3人も 一緒に行けたらと思い 仙台の叔母ちゃんと従兄弟 東京の叔父さんは亡くなってしまったので その長女の従姉妹 声をかけたらすんなりオッケーで 今日の靖国参拝が実現しました。 前回早朝だったので閉館だった 遊就館も観覧。 常設展示は改装中でしたが、 兵食の特別展示があり 兵隊になった祖父は こんなものを食べこんな風に暮らし 何を思っていたのだろう。 あったことのない祖父だから しょうがないとは言いながらも 今の自分を存在させるのに 絶対欠かせない存在でありながら あまりにもじいちゃんのことを 知らなすぎた。 父親からは お前がそんなに言うから 本当はあまり気が乗らなかったけど 来てみて考えが変わった 連れてきてくれてありがとう ほんのちょっとは親孝行できたかな! と少し自分が誇らしく思えた。 初めての参拝の時、 じいちゃんが来てくれて ありがとうと喜んでくれてるのを感じた。 マサカズを連れてきてくれとも 言われたような気がした だけど父親のみならず おばさんにいとこにと じいちゃんの肉親を集めて連れてきた僕を きっとじいちゃんは よくやった! でかした! とほめてくれてる その確信が僕の中にはある。 そしてもう一つの目的の 僕の師匠、叔父さんの墓参り コロナ禍で死に目にも葬儀にも 参加できずにずっと 心の隅に引っかかってた もう長くないと言われても 亡くなったと言われても 受け入れたくないのか 実感が沸かずに涙も出なかった。 その現実から目を逸らしたかった。 でも今日遺影を見て遺骨箱を見て やっと受け入れた自覚した 遺影で楽しそうに笑う 叔父さんを捨て師匠になり 僕を育ててくれたもう1人の父は もういない 涙と嗚咽がどうしようにも 止まらなかった。 でも自分はきっとずっと 泣きたかったんだ。 泣けずにいて苦しかったんだ。 そう気づいてひとしきり泣いた後 驚くほどスッキリふんぎりが ついたように思う。 よく来たな、がんばってるな そう言われた気がした。 10代後半から20代の 10年を過ごした街は 装いを変えながらも 昔の表情を残しており 自分の青春はここにあったと 確かに感じられる。 30年以上経った今でも 自分の原点はここなんだと 胸にジーンと響いた。 昔働いた店は 従姉妹の切り盛りする お好み焼き屋さんに姿を変えており お好み焼きを食べながら 父叔母いとこたちと 楽しい時を過ごすことが出来た。 ずっと会ってなかったけど、 じいちゃんが息子娘を集めて 久しぶりに話しな!って 言ってくれた気がした。 時間の余裕持って帰路についたつもりが、 85歳の歩みは想像以上にゆるやかで 危うく飛行機に乗り遅れそうになり 父親の手を引き 必死で走ってなんとか飛び乗った。 14000歩歩かせた上に 最後にダッシュさせるとは 今日の親孝行も台無しだと笑ったが、 父親の手を引き手を繋いで歩いたのは いつのことだろうか思い出せない。 じいちゃんのこと 師匠のこと そして父のこと 10年分ぐらい一気に 一日に詰め込んだ 忘れられない親子東京日帰りでした。 体は疲れたが心は充実! 明日からまたがんばれそうです! 長文お付き合いいただき ありがとうございます
最後の公式戦 2024年11月03日 三男の学童野球 公式戦の日程全て終了 6年生にとって 最後の試合になりました。 昨日からの雨も嘘のように 晴れ渡る秋空の下、 球道杯ブロック優勝 勝って笑って 有終の美を飾ることが出来ました。 4年生から被ったマスクも すっかり見慣れて板について 逸らしはしないか 走られはしないか 怒られはしないか 心拍数を上げながら見守った そんな時が懐かしく思い出される 楽しいばかりではなく 辛かったことや 苦しかったこと たくさんあったはず でも一度も弱音を吐かなかったのは やっぱり野球が好きだから 楽しく野球ができたのは いい指導者に恵まれたから いい仲間と一緒だから 我が子のように見守ってくれた 保護者がいたから ここまで続けてこれたことに これまで支えてもらったことに 心から感謝します。 とにかく今日は よくやったね よくがんばったね たくさん褒めてあげたいと思います。