先日お邪魔した中学校の
職業講話のお礼と感想を
いただきました。
自分が13歳の頃とは
違う時代を生きている彼ら彼女らに
親子程に歳の離れた
おっさんの言葉が
どれほど届くのか
共感してくれるのか
めちゃくちゃ不安でしたが
こちらの言わんとすること
伝えたいことを
しっかり聞いて、
受け止めてくれたんだなぁ
と分かるものばかりで
本当に今の子たちは
これぐらいの頃の
僕なんかより
拝啓から始まり
時候の挨拶
末文あって敬具で締める
月曜朝から映画なんて
誰が見るんだ?
なんて思ったけどとんでもない!
みるみる在庫が減っていくのを見て
勢いで買っちゃったポスター
見終わって出てきた頃には
完売でした╰(*´︶`*)╯♡
分かった部分と
分からなかった部分あって
かなり脳みそ使った感じ。
PS:僕が映画を楽しんでる間に
外界は大変なことに。
子どもたちにもヨメさんにも
はっきり
『映画見に行ってくる』
そう言って出かけたのだか、
ヨメさんの頭の中では
『ウォーキング行ってくる』
と勝手に解釈。
実家に行ったのか
舞鶴山に登ったのか
イオンに行ったのか
危うく警察に捜索願い
出されるところだった(^◇^;)
しかしながら
僕以外の人には今日は
「普通」の日
なのかもしれません。
高校を卒業し
理容師になるために
東京へ出て行った日である。
様々な感情が
頭の中を去来した
18歳の多感な時期
住み慣れた街を離れること
家族や友達との別れること
新しい自分になりたかった
自立した大人になりたかった。
その時の気持ちは鮮明に覚えているが
あれから30年近く経ち
そして
理容師として自分を受け入れ育てると
決意してくれていた師匠の気持ち
自分以外の周りの人たちの心情が
すこしずつだけれど
わかってきた様な気がする。
自分は父の様に
息子たちを18歳で手元から
離すことができるのだろうか
自分は師匠の様に
生意気な18歳の若者を
あれだけの情熱を持って
育てることができるのだろうか。
我が家のこどもたちは果たして
親から離れること
自立して生きていくことを
選択してくのだろうか
その時に自分は
どんな言葉を口にするのだろうか・・・
毎年、この日は
東京の師匠へ電話をしていたのだけれど
もうその師匠も居らず
例年に比べて
失って初めて師匠の偉大さと
愛情に気づくバカな自分に出会った。
必要なものは
全て揃えて準備は万全で
東京へ乗り込んだのつもりが
足りないものがあることに気づいて
初めて買い物に出かけたのが
当時山形にはなかったセブンイレブン。
そこで東京生活で初めて買ったものが
この爪切り(680円)である。
一人暮らしとは
こんな些細なものにも
お金がかかってくるんだなぁ。
今までは親の用意してくれていた環境の中で
住まわせてもらっていたんだ
自分の身の回りのものは
すべて自分でなんとかしなきゃ
いけないんだなと
レジのお姉さんにお金を払いながら
しみじみと思った18歳の春。
「この爪切りは父ちゃんが
初めて東京で買ったもので・・・」
と、僕の上京物語を
何度も子どもたちに話してしまう。
毎回繰り返されるやりとりに
おかしくて
デジャヴのようで
不思議な気持ちになるのだけれど
それでも
僕にとっては
1年間で最も大切な日の
ひとつなんだよと
思いがけなくということは
忘れてしまっていたと
いうことなんだろうか。
今日はコレの発売日!
400字原稿用紙1枚という
限りある中ではあるが
彼の世界観が垣間見れるようだ。
主題は「仲間がいなければ何にも出来ない」
ということらしい。
子どもと大人の間の中学二年生
今しか書けないこの文章と感性だなぁと思う。
俺が気持ちよく投げたボールを
打ったり捕ったりしてくる。
バットにボールが当たった瞬間、
バキッと音がした。
バットがいなくなり二人は
キャッチボールをしていた。
反響した捕球音が消えた時
顔を見合わせ二人は言った。
「もう誰が一番だなんてケンカはしません。
三人でまた野球をさせてください。」
その後バットは蘇り、
三人は仲良く野球をする様になった。
「お前らがいるから野球ができるんだ。
バット、グローブありがとう。」
彼は彼なりに
自分の中の
ストライク(正解)を
見つけたのかもしれない。
お客様から美味しかったよ!
と教えてもらったヨメさんは
ロックオンしてしまった。
ラーメン食べたい!
そう言われたら
逆らえないので
お店のお姉さんが
マスクしてても分かるくらいに
笑顔でとても感じがよく
うちもこんな感じの
接客しないといけないねって
すごくいい気分で
美味しくいただきました。
あっさりにしますか
こってりにしますかと聞かれて
あっさりと答えるあたりに
自分の年齢を感じるひととき。
PS:雪解け水で
フロントガラスが汚れたので
ワイパーを回したら
とは言わずに(言えずに)
『そう言う時はちゃんと僕に言うんだよ』
と、ニッコリ笑って言っといた。
長男は部活に定期試験にと
文武両道を目指し
毎日忙しそう。
お別れ会やその類は
全て中止なので
なんとも実感が湧かないものだ。
三男は
じいちゃんちにせっせと通い
雪はき手伝って
小遣い手に入れることを覚えた。
なんと言っても
炊事に洗濯に送迎
おまけに仕事までこなす
ヨメさんには
全員でありがとうって言わないとね!
明日と明後日は連休なので
ヨメさんをもてなして
あげようと思います。
今日は東根市神町中学校へ
1年生の職業講話ということで
地域で働く人から話を聞く
ということでした。
30分入れ替え制の2コマ
34人×2の68人へ
受講するのは
ほぼ女子のみでしたが
次代を繋ぐ子どもたちへ
思いの丈を
伝えてきました。
自分が13歳で感じた思いと
今この子たちが感じてるものは
違うのかもしれないな。
彼ら彼女らの
心とアタマの柔軟性を
見習いたいなと思いました。
拙い話
一生懸命に
聞いてくれてありがとう。
PS:今回の中学生への職業講話は
6年ぶりのことになりました。
以前のパワポの資料を元に
内容組み上げて行ったのですが
どうもなんだかしっくりこない。
時間の経過とともに
自分が子どもたちに伝えたいことというものが
少々変化してきていることが原因と思われる。
つい最近、「卒業ソング」として
尾崎豊の「卒業」がTVで流れた時に
ノリノリで歌うのは僕ばかりで
子どもたちはポカンとしていた。
そりゃあ生まれる何年も前の曲だから
仕方のないことなのだろうが
そもそも
今の子どもたち(10代20代)の子が
尾崎豊の卒業の歌詞に
共感することなどあるのだろうか(いやない)
自分が学生の頃は
夜の校舎窓ガラス壊してまわってはいなかったが
「早く自由になりたかった」
とか
「この支配からの卒業」
とかいう言葉に共感し
自分と重ね合わせた部分があった。
自分は中学生の職業講話を頼まれるたびに
自分が13歳の時に感じたことや
思ったことを話すようにしていて
20歳で親の世話にならずに
自立して自由に自分の生活を立てていくことを
大きな目標とし、
その方法のひとつとして
理容師になって東京に出て行き
親元を離れ、自立のための力(技術)を
身につけてしまおう
ということを考えたのだったが、
そもそも
今の子たちは
不自由を感じているのだろうか?
自分たちの頃のように
自由を渇望しているのだろうか?
自立して生きたいと思っているのだろうか???
自分の体験談は
今の子たちにとっては
古臭い精神論で
全く通じないんじゃないかと
何言ってんのこのおっさん
と引かれるんじゃないかなと
相当悩んだのだけれど
やっぱり自分は
これまでそう思って生きてきたし
それを大事にしてきたという
自分の価値観を飾ることなく
ぶつけてみようということにした。
結果、34人を2回で68人のうち
60人は女の子だったのだけれど
女子受けする話に媚びるのではなく
たった1人でもいいから
自分の話が心の琴線に触れて
感じるものがあればいいなと
最終的には開き直った。
結果はどうかは僕には分からないが
人の前で話をさせていただくということは
自分の考えを整理する
とてもいい機会だったと
感謝するのでした。
と言った長男は
文武両道を宣言し
自宅で勉強することを選んだ。
そんな彼に
教科書丸ごと一冊解説する
教育系YouTuber
『葉一(はいち)』さんの本。