シークレット勉強会
2013年10月03日
2013年10月03日
2013年10月02日
2013年10月01日
明日は月曜日で休みなので、今日が月末。
恒例のR子さんへのお給料、
T子さんへの生活費
そしていつものお手紙を渡します。
今月はこんな話です。
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【一生休まずにする努力】
2013・9・30
尾車部屋親方、尾車浩一氏の心に響く言葉より…
一番怖いのは怪我ではないし病気でもない。他人でもない。自分自身です。
ただ、私も人間ですから、最初から「やってやろう」なんて思っていないわけです。
凡人ですから、
「終わったな」
「無理だな」
「もうダメだ」と思うこともあった。
そこで何かのために頑張るというものを常に持っている人でないとダメだと思います。
今回私は弟子のために稽古場に戻らなければならない、
もう一度家族に笑いを取り戻させたいと。
そして願わくば、お世話になった相撲界にご恩返しをするために、
もう一度働きたいということが大きな目的でした。
自分のためにやることは、しょせん甘いです。
自分は楽を選びたいもの。
嫌ですよ、苦しいこと、つらいことは。
稽古中もそうです。
親方に「ほら琴風(現役時代の四股名)四股(しこ)を200回踏め」と言われると、
200回踏んだ後に、「おふくろのためにもう20回」
「俺の出世を待っているおばあちゃんのためにもう20回」と、
そうやって四股を踏んできたんですよ。
それがプロの世界、競争の世界です。
だから弟子たちにも言うんです。
稽古が終わった後、礼儀として親方である私に「どうもごっつあんでした」と挨拶に来る。その時、
「ここまではおまえがやったんじゃないよ。親方が言うからやったんでしょ。
ここまではやらされたんだ。ここからおまえが誰のために頑張るかだよ」
と。
1日10回余計に四股を踏む。1年で3650回です。
この3650回を大晦日1日で取り戻せませんよ。
この少しの差が人との差になるんです。
でも、これは自分のためだったらやれていなかったと思います。
私はいま、56歳になってもう一度土俵に上がっているような心境です。
おかげさんでこの怪我は1日でも怠けると元に戻るというか、
3日も寝ていたら歩けなくなる。
以前は弟子を育て、ある程度相撲界にご恩返しができた後は、
女房とのんびり過ごしたいなと思っていましたが、こうなった以上、
「一生休むな」と決められた人生なんだろうなと思っています。
現役時代、サインを求められると「稽古に泣いて土俵に笑う」と書いていました。
この怪我によって私も、弟子も、家族も、一度は笑いを失いました。
だけどもう一度心からの笑顔を、笑いを取り戻したい。
最後には絶対に笑ってやる。
「怪我に泣いて、最後に笑う」今はそんな気持ちでいます。
“怒涛の人生 かく乗り越えん”『月刊致知 2013年9月号』致知出版社
尾車親方は、昨年、巡業視察中に転倒し、
脊髄損傷で四肢麻痺状態になった。
首から下がぴくりとも動かない状態から、
手術とリハビリを続け、約1年で杖一本で歩けるようにまでなったという。
自分のために頑張る人は多くいる。
それは普通の人の努力。
しかし、人のために頑張る人は、それからさらに頑張ることができる。
それが、一流の人の努力。
「一生休まずにする努力」世のため人のために頑張る人は、
ときに、超人的な力を発揮する。
2013年09月28日
2013年09月24日
2013年09月24日
山寺から帰宅後、
ご飯を食べて???
一路112号線を進みます。
約一時間車を走らせて着いたのが
道の駅あさひ
いつも通りかかっては気になっていた
アマゾン博物館に行きました!
アマゾンの昆虫や、生き物が展示されており、
最初JUN平さんは引き気味でしたが、
あとからはすっかり慣れて楽しんでいます。
YU作さんはヘビの
ボアコンストリクターとの記念写真。
楽しかった子どもたちはまた来たい!
なんでもこのアマゾン館、来年で閉館になるようで、
もっと早く知っていれば・・・。
閉館へ向けたメッセージを書きました。
「アマゾンだいだいだいだいだいだいだいすきありがとう」
カブトにコーカサス、ヘビのクリクターが描かれています。
チャンスがあれば又来ようね!
そして道路を挟んだ恐竜展へ。
キョウリュウジャーの影響で子どもたちは大喜び!
小さかった自分も胸ときめかせたのを思い出します。
自分は、恐竜の木の模型が欲しくって・・・
でも買ってもらえなくって・・・
我慢した覚えがあります。
帰って粘土でつくったっけな。
興味のないT子さんは車でひと眠り。
そして起きだして、隣にある公園でみんなで
とうちゃんはこの公園が今日で一番楽しかったよ。
また連れて来てあげるからね!!
2013年09月23日
今日は秋分の日で旗日だったので、
T子さんだけでは連れてこれないところ、
させられない経験をさせようと、一日を僕がプロデュース。
計画はこう。
車で山寺駅に向かい、電車に乗り、面白山高原駅で下車。
コスモスベルグに寄った後、約二時間徒歩で山寺駅まで帰って来るというもの。
では実際。
7時起床。
8時朝ごはんとお弁当づくり
8時半自宅出発
9時14分山寺発仙台行きの仙山線乗車
ここまでは予定通りです。
到着すると、海抜440メートルと言うだけあって
空気もひんやりしています。
と思ったら流石はT子さん。
JUN平さん、YO介さん、そしてT子さんの上着を出し始めましたが、
「お父さんとYUちゃんのは忘れてきた」
とのこと。
僕とYU作さんはTシャツで過ごすことに。
面白山駅からコスモスベルグまでは
車でいくとあっという間ですが、
歩いてみると結構な傾斜で・・・
でも何とか到着。
T子さんと独身時代来た数少ない思い出の場所。
いつの間にか家族も5人に増えちゃって。
ここから先まで
ヒーコラいいながらなんとか頂上まで歩いて到着。
この時まだ10時頃だったんだけど、
「おなかすいた~。」
とみんなで作ってきたおにぎりをぱくり。
食欲旺盛です。
ところが・・・頂上は風が強く、
とにかく寒い!!
装備が足りないということと、
ここまでの登りが結構きつかったので、
10時51分くらいの電車でまた山寺に帰ろう!ということになって、
10時20分頃下山開始。
駅に向かって歩いていると
「ピィー!!」
電車の汽笛が聞こえてきました。
あれ?おかしいぞと思って時刻表を見てみると、
面白山高原駅
10時29分発
って書いてある・・・。
すごい僕の勘違いで、
電車には乗ることができませんでした。
久しぶりの歩きでくたびれてしまったT子さんは
「絶対に歩かない!!電車でいく!!」
と言いだすも、
次の電車は12時51分。
何もない待合所にて2時間待つしかなくなってしまっていました。
ここで夫婦で協議。
2時間待つくらいなら、歩いて2時間で山寺までついてしまうから歩こうという僕と、
歩きたくないT子さんとの押し問答の末、
何とか押し切って歩いて山寺に向かおうとしたその時、
雨が空からポツポツと落ちてきました。
コレで歩きは断念し、
一度作並方面への電車に乗り、
乗り換えて山寺へと向かいました。
こどもたちは電車に何回も乗れて
すごく楽しかったみたい。
ということで、午前中の面白山散策はおしまい。
でも、T子さんが大好きな
オレンジのコスモス見せてあげられてよかったな。
2013年09月16日
今晩は、伊藤家芋煮大会が開催され、
長男YU作さんの司会進行で会が進みました。(^◇^;)
長男YU作さん、次男JUN平さん、そして僕で芋煮を作って、
いつもご飯を作ってくれているお母さんをご招待することに。
包丁の使い方を少し覚えたYU作さんは、
ネギにサトイモに厚揚げを切り、ゴボウのささがきに初挑戦!
次男JUN平さんはこんにゃくとしめじをちぎって料理に参加。
そして今回はなんと、味噌仕立ての庄内芋煮に初挑戦です!
1豚肉
3酒粕
4しめじ
2013年09月12日
机の中をゴソゴソやってたら見て見てびっくり!
中学一年生の時、担任の先生にもらった(らしい)
バースデーカードが出て来ました∑(゚Д゚)
そのカードを眺めながら、
薄れていた記憶を呼び起こすと
担任のK先生から
反抗期真っ盛りの中学生が
一つ一つヒアリングされて、
それを先生から書いてもらったような…。
じっくり見てみると、
1、好きな色は?
【赤】これは今も変わりませんね。
2、好きな食べ物
【たくさん】たくさんありすぎて答えきれないといったことろでしょうか。
3、好きなテレビは?
【プロ野球珍プレー好プレー】この時は本当に野球が好きで好きで・・・
毎日授業が終わるとグランドへすっ飛んでいったものでした。
4、尊敬する人は?
【お父さん】【前田先生】【高木先生】【衣笠】
父親と、野球部顧問の二人の先生、そして当時連続試合出場記録を打ち立てた
衣笠幸雄選手を挙げています。
ヒアリングしてくれている担任のK先生に対する気遣いゼロです(>_<)
5、読んで感動した本は・
【たくさんある】
といっても、当時ほとんどマンガしか読まず、正直この先生に
マンガの説明をしても分からないだろうなと思って答えたのが
【たくさん】という言葉だったようです。
ホントは【キャプテン】だの【ナイン】だのと野球のマンガばっかりだったような。
6、大きくなったら
【床屋】
この答には正直びっくり!
へぇ~、自分13歳の時には床屋さんになる!って言ってたんだ・・・。
7、20歳の自分に一言
【バイク事故には気をつけよう】
小さい頃父親に連れて行かれたモトクロスのレース場、
従兄の後ろに乗せてもらったカワサキFX
姉の部屋にあった「バリバリ伝説」
絶対バイクに乗る!!と決めて
毎日下敷きのTECH21平忠彦のFZRを眺めていたのを思い出します。
そして最後の8は、、、
【仲のいい友達】
の欄には、商売人の子供らしく、
八方美人でひとには嫌われたくない!というのがありありと分かるように、
クラスと部活の主要な人たちの名前がズラズラと書いてありました・・・。
誰からも好かれたい!嫌われたくない!
そんな気持ちをもっていたなーと。
結局、その性格は、自分がお店を出す時までずーっと続くのだけれど。
ぶっきらぼうに『たくさん』なんて答え、
尊敬する人に目の前にいる先生をあげないあたりから
反抗期真っ盛りの、中学生の心情が伺えます。
先生にはホントに無礼なことをしたな、
迷惑かけたなと反省しきりです(^◇^;)
ホントに恥ずかしいのだけれど、
この中学時代があって今の自分があるんだなと
改めて感じました。
13歳の僕へ!
君の夢は必ず叶うよ!
辛いことや悲しいことがあっても必ず乗り越えられるから!
僕が保証するぞ!( ^ω^ )
キミの未来は限りなく明るい!
13歳の僕、誕生日おめでとう^_−☆
2013年09月10日
日曜の夜、父親からいきなりの電話。
「ヒマか?湯殿山に行こう!」
珍しいなと思いながらも、午前中は空いていたので
二つ返事でオッケー!
親父、T子さん、YO介さん、そして僕で湯殿山に向かいました。
一時間ほどで到着。
実は僕の婆ちゃんは湯殿山羽黒山月山の出羽三山を信仰していて、
何度もここには足を運んだ覚えがあります。
親父自身も、若い頃は山伏山の散髪をするために、
ひと月に一回、夏場はこの湯殿山を訪れたのだそうです。
時間があれば、参道を歩いて登りたいところですが、
小学校と幼稚園のお迎えの時間があるので、
一同バスに乗って山頂を目指します。
すると・・・んん?
見つけた!!
そして
まるで「いい??触っていい??」
って聞いてくるように。
三男はとても大胆です。
てなことしながらバスは参拝口に到着。
しかし、すごい景色だな~。
これより先はご神域なので撮影は控えます。
また、湯殿山については多くを語らずが慣例なので
詳細は割愛させて頂きます。
5年ぶり?くらいでYU作さんが小さかった頃、
JUN平さんがお腹の中にいた頃に来たっきりでしたが、
とても清々しいというか気持ちのいい時間を過ごすことができました。
またバスで下山して
宿坊にて昼食。
そして急いで家に帰って子ども達を迎えに行きました。
お互いにいいお出かけになりました。