今月もR子さんにお給料とT子さんに生活費。
そしてお手紙を渡します。
今月はこんな話です。
【一歩引いて眺める】
2012・9・30
北野武氏の心に響く言葉より…
眠っている才能なんてものはない。
才能はあるかないかのどっちかだ。
自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて
考えなきゃいけないってことは、
やりたい仕事がないというだけのこと。
探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、
楽して稼げる仕事なのだ。
そんなものがあるわけない。
世の中が貧乏で、飯を食うのにも苦労した時代なら、
子供が「自分の才能を生かせる仕事就きたい」なんて言い出したら、
親に頭を叩かれるのがオチだった。
「そんな夢物語にかぶれてないで勉強でもしろ」とか
「バカなことを言う前に仕事を探せ」とか。
昔の親は、苦労が子供のためになることを知っていた。
今の親は、子供に苦労だけはさせたくないと思っている。
けれど、昔も今も変わらないことがある。
苦労をしなければ、仕事にやりがいなんて見つけられるわけがないのだ。
仕事の本当の面白さとか、やりがいというものは、
何年も辛抱して続けて、
ようやく見つかるかどうかというものだろう。
最初から簡単にできたら、面白くもなんともない。
昔の職人は、親方に弟子入りして、
殴られたり蹴られたりしながら仕事を覚えた。
理不尽な扱いをされたこともあっただろうし、
給料だってロクに貰ってはいなかったろう。
それでも、他に行き場がなかったから、
必死でそこにしがみついていたわけだ。
その苦しさとか悔しさがあったから、
仕事が上手くいったときの喜びもあったわけだ。
それを仕事のやりがいと言ったのだ。
その仕事のやりがいを、金で買おうとしてはいけない。
自分に合った仕事を探すという考え方がそもそもの間違いだ。
そんなものはない。
仕事を自分に合わせるのではなく、自分を仕事に合わせるのだ。
だいたい職業なんてものは、あまり自分の気の進まないものを
選んだ方が上手くいくものだ。
幸せになりたいなら、いちばんやりたいことは趣味にしておいた方がいい。
気が進まないくらいの方が、いろんなことがよく見える。
どんな仕事にだって、誰も気づかない盲点というものがあるのだが、
そういうものに気づくのは、好きでたまらない人間よりも、
むしろちょっと引いたところから眺めている部外者だ。
もし今の自分の仕事にやりがいを感じないとしたら、
それは不幸なことではなくて、むしろチャンスなのだ。
自分はこの仕事を冷静に見る目を持っていると思えばいい。
冷静に考えれば、どんな仕事であろうとも、今よりは面白くできる。
『北野武 超思考』幻冬舎
世の中は、時には斜めに見ることも必要だ。
真正面からばかり見てると、ことの本質が見えなくなることがあるからだ。
たとえば、「子供に苦労をさせたくない」という感情。
その気持は分かるが、
若い頃に本当に一つの苦労もさせずに蝶よ花よと育てたら、
年をとってから、苦労ばかりが続く人生となるのは間違いない。
だから、
「子供にはたくさんの苦労をさせる」
というのが本質だ。
今の時代は、豊かさの中にあって、親も、子供も我慢ができない。
より楽に、より稼げることを望む。
だから、芯のない、甘い人間が増えてしまう。
「仕事は辛いことがあって当たりまえ」
「楽して儲ける仕事はない」
「仕事のやりがいは自分で探すもの」
「自分を仕事に合わせる」
時には、自分を一歩引いたところから、
冷静に眺めてみることも必要だ。