少しゆっくり作らせて。
2014年10月09日
2014年10月09日
2014年10月08日
2014年10月07日
2014年10月05日
事前にお母さんは
赤ちゃんを産むために赤ちゃん病院へ行くよ。
一週間くらいはお父さんと一緒に暮らすんだよって
長男次男にはジックリと時間をかけて話してあった。
だからきっと平気だろうなんて勝手に思いこんでた。
陣痛の間隔も短くなり、
「そろそろ病院へ行こうか」
なんて話していて、着替えや必要なものを
車に積んで入院の準備して。パタパタと動き回って
『そろそろ行くよ!』と声をかけたら
ヨメさんが泣いていた。
どうしたの?と聞くと次男(当時3歳)が
トコトコとヨメさんの前に近づき
『お母さん、今まで育ててくれてありがとう』
と、ひとこと言ったんだって。
『そんな一生別れる訳じゃないんだから…。
一週間で帰ってくるから…』
と号泣しながらヨメさんは次男を抱きしめた。
生まれてからずっと、
お母さんを独り占めしてきた次男は
これから生まれてくる赤ちゃんに
お母さんの膝の上を譲らなければならないこと、
お兄ちゃんになるんだということを
きっとここで理解したのだろう。
そして最後に『僕だけのお母さん』にお別れを言い、
【お兄ちゃんになる決意】
をしたのだと僕はそう思った。
あれから二年。
赤ちゃんがやってきた我が家は
お母さんが動けない分、自分の出来ることは自分でやる
それに加えて
家族のために自分の出来ることをやる
そんな気持ちを少しずつ持つ、
本当の家族に近づいて来たように思う。
今日は三男YO介さんの二歳の誕生日。
みんなで頭を下げました^_^
『お母さん、弟を
生んでくれてありがとう
僕を生んでくれてありがとう』
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2014年10月05日
開店当初、来店した彼は中学生。
こんなに立派に爽やかになって
久々にご来店です。
おばあちゃんに凄く優しかったり
ウチの子たちと遊んでくれたり
ジャージ姿が印象的な
とても心の優しいヤンチャな中学生だった。
大学、就職と山形を離れて
こんなに大きく立派になっちゃって…。
親元を離れての一人暮らしや、
大学での生活。
仕事をしてお金を稼ぐ事、
働くということを通して
様々な経験をしてきたのでしょう。
この成長した姿が
なんとも嬉しくてたまりませんo(^▽^)o
床屋さんやってて
本当によかったと思える瞬間でした。
Kくん!お土産ありがとう!
2014年09月30日
かけっこがニガテな太っちょ長男YU作さんは
今日は学校で持久走があるようで…
なんだか朝から浮かない様子。
『いつも練習でも27位なんだ。』
『何人中?』
『27人。いつもビリなんだ』
『そっか!でもキミは本番強いからきっと行けるよ!』
『でも…今日も27位だよ。きっと』
ナカナカ気持ちが前に向かずに自信を無くしてる YU作さん。
『よし!今日は一人でも抜かしたら、お父さんがご褒美あげる!』
『おかあさんも応援に行っちゃう!!』
これで彼は発奮したらしい。
何度走っても27位以外の順位にならなかった彼が
23位に急浮上( ^ω^ )
夜は普通の晩ゴハンで
「よくやったね」
「がんばったね!」と
がんばったパーティを開催。
もっと結果に対して
僕とT子さんで思いっきり喜んであげなきゃなって
改めて思いました。
特に
【お母さんが見てくれている】
ってすごいパワーになるんだなって感じました。
男の子は単純でかわいい。
同じカラダでもキモチが違えば結果は変わるんだよ。
ニガテなことがあってもいいと思う。
その中でも、自分の最善を尽くす努力だけは
あきらめないで欲しいと父ちゃんは思う。
え?
ご褒美?
父ちゃんが折り紙で作った
妖怪ウオッチでした^_−☆
2014年09月29日
2014年09月26日
お風呂上がり。
こんなものが置いてあった。
って長男を褒めまくった次の日。
今度は次男が燃えた。
おにいちゃんがあんなに喜ばれてるんだから僕も!とのことらしい。
『おとうさんだーいすき』
『おかあさんだーいすき』
と書いてパジャマに置いてくれた。
じゃあ、
『お父さんとお母さんどっちが好きなの?』
何気ない疑問から
思いがけない展開に…。
『ご飯作ってくれるからお母さん!』
『お母さんはすぐに怒る。お父さんは怒らない。だからお父さん!』
『お母さんが怒るのはいろんなこと考えてくれてるから。お父さんは仕事ばっかりしてる!』
『お父さんが仕事してるのは僕達の為だ!』
『お父さん!』
『お母さん!』
と、どこまで続くのか
終わりの見えない
我が家のこの言い争い。
そしてついには
【お父さんとお母さん、
か一人だけと一緒に暮らすなら
どっちを選ぶ?】
という究極の選択に。
『料理の上手なお母さん!』
『お金稼ぐお父さん!』
出ない答えに
困り果てた様子の長男は
『両方一緒じゃダメ?』
と何度もうかがう。
ついに
がっくりうなだれ
絞り出すように一言。
『お母さんと暮らす…。
僕はお母さんを守らなくちゃいけないから…。』
とポロポロ涙をこぼし始めた。
意地悪言ってゴメンね。
そんなの選べないよね。
可哀想なことしちゃったねと、
言っているヨメさんの顔は
とてもうれしそうに見えた。
とうちゃんも、
お母さん思いの優しい子に育ってくれて
ホントにうれしいよ。
2014年09月08日
6日土曜日。
僕のばあちゃんが天国へ旅立ちました。
戦争で最愛のじいちゃんを亡くしたのが31歳の頃。
それから僕の父親を頭とする三人の子どもたちを
女手ひとつで懸命にそだててくれました。
僕が生まれたのは60歳の時。
僕をたいそうかわいがってくれた。
とっても気の強いばあちゃんで、
やると決めたことはとことんまでやる。
60歳で理容の仕事は隠居して
趣味だった日舞を毎日毎日徹底的にやった。
小学校の頃、町内の盆踊りでのアトラクションとして
「白虎隊」の踊りを教えてもらった。
とっても厳しくってすごくいやだったけど
踊り終わって褒めてもらうのがとても嬉しかった。
そのアトラクションは代々町内の子どもたちに引き継がれ、
今も毎年盆踊りでは「白虎隊」が踊られている。
僕がばあちゃんと暮らしたのは東京へ行くまでの18年間だったけど、
たくさん褒めてくれるばあちゃんだったなあと思う。
中でも
「あなたは大器晩成だ」
「とても素直な気持ちを持っている」
「この爪の形はとても器用なんだ」
「おでこが出ているのは偉人型だ」
などなど。
今でも、
これから自分の人生は
どんどん良くなっていくんだと
根拠なく思えるのは、
「大器晩成」の言葉を僕に浴びせ続けてくれた
ばあちゃんのおかげなのだと思う。
唯一の内孫として、ばあちゃんが倒れた3年前から、
病院に通い、少しづつ弱り、小さくなっていくばあちゃんの姿を
見届けることができたこと。
そして、7人いるばあちゃんの孫の中でも断トツで一番に
ばあちゃんの手を握ってあげられたこと、
そして元気な時に、たくさんの話を聞かせてもらったり、
他の従兄たちにはない思い出をたくさんもらえることができたのは
とても幸運なことだと感謝しています。
ひさしぶりに孫たちが全員集合。
こうやって久しぶりにみんなを引き合わせてくれたのが
ばあちゃんなんだね。
100年生きた中で
じいちゃんと過ごしたのはたった6年。
6年の期間に男女男と三人の子を産み、
70年たってやっとじいちゃんとの再会を果たしたばあちゃん。
やっと会えたね。
よかったね。ばあちゃん。
2014年08月27日