まさかの・・・。


2018年04月18日

三男熱発。

辛くて涙が出る。

だいぶ高熱だ。

食べられるのはブドウだけ。

明日お医者さま連れて行ってあげるからね〜。

 

PS:次の日医者にいくと

まさかのインフルAで隔離決定。

幼稚園で流行っているらしいが

旅行で崩れた生活リズムが一番の原因と思われる。

早く良くなって。

カブトと鯉のぼり


2018年04月18日

カブトと鯉のぼりを
やっと出した!

カブトは僕の母が
お腹の子が男の子だ!

と分かった瞬間から
未だ見ぬ孫の為に
作り始めた。

本来5円玉の
黄金カブトなのだが

5円より50円の方が
10
倍価値がある!と

5円より穴の小さな50円で
作ってくれた手間のかかった
オンリーワンの銀のカブト。

全部僕とヨメの誕生年発行の
50
円で作ろうと思ったが
それは断念して

カブトのツノ部分だけ
S49
年の硬貨で統一してあるとか。

これを毎年出すたびに
親の子に対する愛情と
孫に対する愛情を
感じずにはいられない。

ヨメの実家では
買ってあげるはずの
カブトが先に取られた関係上

僕ら夫婦と相談の上
ベランダ鯉のぼりをくれた。

まさかその時に
小さな鯉のぼりが
三匹になるとは思ってなかったが。

なにはともあれ
この二つを出すと
親のありがたみと

また今年も
春が来たなぁと感じるのです。

#50円カブト
#手作りカブト
#銀のカブト
#小さい鯉のぼり3

平等公平ひいきなしを目指して


2018年04月16日

兄たち帰ってくる前に

三男と2人でお花見

天童でも僕が一番好きな桜の見所の一つ

倉津川沿いの桜が満開です。

お花見にはおダンゴでしょ!

この表情。三本一人で食い切った。

兄弟3人公平にと

思っていても
実際は

お兄ちゃんばっかり!

とかっていう気持ちは

必ずあると思うので

たまに時間作って

1人ずつ

一騎打ちで。

三人平等ひいきなし。

今度は学校から帰ってきた

兄たちつれて

城山公園へ。

旧東村山郡役所の前の桜も

僕の好きな桜の一つ。

子どもたちが

遊んでるの見てて

自分も小さい頃遊んだのを

思い出したひと時。

すべり台で遊ぶ

長男のお尻。

ズボンを買っても買っても

すぐに穴開けるのも

うなずける。

舞鶴山天童公園


2018年04月15日

舞鶴山の桜は 

一部満開( ^ω^ )

舞鶴山の愛宕沼が大変綺麗に整地されており

素敵な公園になっていてびっくり!

噴水もあり

喧嘩に最適なデッキまで完備。

特に北側駐車場あたりの桜は

日当たりがいいのか

ほんときれいです。

この桜の後ろにスイセンが咲いていて

スイセンの黄色と桜のピンクが

珍しい組み合わせだなぁと思うのですが

どうやってもこの手すりが映り込み

写真映えしないのが残念。

来週は桜まつり人間将棋

長男のしのぶえが

鳴り響く予定です( ^ω^ )

なんとかみんなで花見ができてよかった!

ブライトウ13しおりの行方


2018年04月09日

父ちゃん渾身の

旅のしおりを

どっかに忘れてきた

うちのアンポンタン!

ないと騒ぎ出したのは2日目の松代城。

本人曰く、

土塁遊びをしていて

三男にリュックサックを

バラバラに投げられた時に無くなったというが

果たして本当にそうだろうか?

と思い

バシバシ3日間で

撮りまくった

1700枚オーバーの写真の中から

しおりをどこで

忘れたのかを探してみる。

諏訪高島城の記念写真では

まだ首からぶら下げている。

天守の中を見学し

冠木門のあたりの写真ではもうない。

これ以降彼のしおりが写真に映り込むことはなかった。

どうやら

写真撮影コーナーが

最終確認地点。

どうやらここに

置きっ放しにしたらしい。

しおりの行方を

特定することに成功!

連絡を入れると

無事忘れ物として

届いており

郵送してもらい

今日届きました(^◇^;)

あれだけ忘れ物するなって

言ってて

次男と三男は

ちゃんと持ってるのに…

あきれちゃって

怒る気にも

責める気にもなれず。

本人ショックらしく

すごくガッカリしてたので

まぁまぁ…今度は気をつけなよ。

父ちゃんの見せてやるから

なんて

逆に慰めてたのだけど、

そんなにガッカリ

肩落とすほど大事なら

カラダから離すなよ!

ってつもりで

ストラップつけたのにね(^◇^;)

諏訪市役所の皆様、

ご迷惑をおかけしました。

お金には変えられない

旅の思い出を

ありがとうございますm(__)m

ブライトウ12無事帰宅〜総括


2018年04月04日

小布施を出発すると間も無く天気が崩れ始め

新潟県に入ると雨が降り出した。

やはり春日山の山歩きは無理だったと思った。

新潟県の高速沿いには桜が多く植えられており

山裾には雪、そのすぐ近くに桜が咲いているという

なんとも見慣れない風景。

子どもたちは車に乗ってすぐに

寝てしまったので

ここぞとばかりに車を進める。

走ること4時間。

荒川胎内で夕食をとることに。

ここのうどんやさんは

3玉まで追加料金なし!

もう今日は最後のご飯だよってたっぷり食わせる。

僕とヨメさんは二人で一杯で十分。

問題は次男。

カツ丼とうどんセット(三玉)

食えるのか?

いや食えない(笑)

お腹の膨れた子供達はまたここから1時間半ほど眠り

山形市に入ったくらいに目を覚ました。

そして

まもなく10時というところで

無事到着!!!

走行距離3日間で1269キロ!!

まずは安着祝いと

見事に
また真田にカブレた
三兄弟は

帰ると早々に

おみやげ開き。

しおりにも

旅の思い出がイッパイ!

 

帰りの車の中で

『この旅で良かったこと』

についてみんなで話し合った。

・天気が良かった

・気温20度超えであったかかった。

・桜が咲いていた

などなどとにかく天候に恵まれ

寒い寒いと言っていた去年より

大変過ごしやすいし

一足早く桜も味わえて

同じ場所にも行ったけど

違う季節に来たみたいだ

という感想

それ以外には

・ケンカもあまりしなかった 

・役割をみんな果たせた

という子どもたちの

成長を感じさせてくれる

場面も。

加えて

・しおりが役に立った

・スケジュールをうまく変更できた

と、親自身が少し

子ども連れの旅行に

慣れて来た傾向も見られた。

しかし

なんと言っても

【お母さんが喜んでくれた】

それが一番良かったと

男全員が一致した。

旅のめあてのひとつに

【ひとりで楽しまない。みんなで楽しむことを心がける】

というのがあるのだけれど

それができたのだと思う。

歴史にあまり興味のない

ヨメさんにとって

天守閣があるお城はまだしも

すでに行ったことのある

土塁や堀しかない

戦国の【土の城】は

何処が面白いのか理解しづらく

退屈な場所だったけど

行く先々で桜が咲き

日本第一の桜と言われ

日本三大桜の名所の

高遠城の桜が見れたこと

諏訪湖が一望できる

絶景ポイントの高台の公園で

のんびり過ごしたこと

栗とスイーツと古き良き街並みの

小布施で美味しいものを食べ

ブラブラ買い物が出来たこと

偶然の要素もあるが

城一辺倒ではなく

ヨメさんも楽しめる場所を 

少しだけど入れてあげられたから

よかったのかなぁと思う。

お母さんが楽しそうに

コロコロ笑うのを見て

みんなが思い出した。

そういえば

この旅行は元々

【お母さん理容師合格おめでとう旅行】

だったんだっけ。

だから神さまが

ガンバった

ご褒美にと

最高の晴天と

例年より一週間以上も早い

桜を見せてくれたんだねって

この旅を総括( ^ω^ )

長男も今年で6年生。

いつまで一緒に 

行ってくれるのか…

これで最後になるかも知れない…

だから

めいいっぱい楽しんで

一生忘れられない思い出を

子どもたちの胸に刻み込みたい。

僕たち夫婦にとって

こんな可愛いい時期があったねと

お墓に入っても

思わず笑ってしまうような

宝物の時間をと

そんな思いを持って臨んだ

【信州上州でブライトウ】

全行程終了( ^ω^ )

カラダは疲れたけど

心はこれ以上ないくらいに

リフレッシュできたので

明日から通常営業!

これまで以上に

ガンバれそうです( ^ω^ )

家族のみんな!

ありがとう!

また行こうね!

ブライトウ11小布施


2018年04月04日

車で40分ほど高速を走り

小布施インターで降りる。

この度唯一歴史やお城が絡まない訪問地

小布施町。

ここ小布施は北信濃にあって

千曲川東岸に広がる豊かな土地にあり

特に千曲川の舟運が発達した江戸時代には、

交通と経済の要所として栄えたそうです。

当時は定期的な市「六斎市」がたち、人、物、情報が集まる

北信濃の文化的中核ゾーンでした。

交通のクロスポイント「逢う瀬」が現在の「小布施」の

地名の由来と言われています。

あかり美術館・竹風堂の駐車場に車を停め

まず目に飛び込んできたのが

巨大なカブトムシ!

モニュメントなのか

遊具なのか

あえて確認もしないままに

カブトムシにたかる子どもたち。

「カブトムシかっけ〜!!」

彼らの楽しみはこれです。

小布施はうちのお客様からおすすめしてもらった場所で

僕の理解では「栗」と「スイーツ」そして古い町並みが

魅力の町。

まずは「栗」

一番の老舗だという

竹風堂さんにて栗おこわ定食をいただく。

どれもこれも丁寧に作られているのがわかり

とてもおいしい!

個人的には熱々のものなんてお味噌汁しかなかったのに

おこわや山菜の煮物を食べて

体が温かくなり汗をかいたというのは

初めての経験。

体が喜んでいるのかな?

食事が済むと

徒歩で10分ほどで小布施駅へ。

天気がいいのですが

風が強くなってきました。

どうやら夕方から天気が崩れてくるようなので

この後予定していた訪問地の

新潟春日山城と高田城は今回パスして

天気の持っているうちに

小布施を楽しむことに。

桜も満開でヨメさんの気分も上々!

 

こんな笑顔久しぶりに見た!

途中で神社に寄り道し

ブランコで遊んでみたりしながらブラブラあるき

ヨメさんは買い物を楽しみ

みんなで思い思いの

スイーツを堪能

次男は蕎麦生地の栗クレープ

三男は

いちごクレープ(小布施関係なし)

長男は

一貫してジェラート。

ここは名物の「栗」でしょ!

と思ったが彼なりに選んだのは

信州ミルクとマンゴーミルク。

そして

一番なんでも食え!と言っていたのに

ヨメは栗おこわの栗食べて満足!

といい、スイーツはいらないというので

僕が選んだモンブランを少々分けてあげた。

って

僕が分けてもらったくらいの配分に

結局なったのはご愛嬌。

どんどん風が強くなって

さっきまで暑かった気温と

暖かかった風も冷たくなり

そろそろだねって帰路につくことに。

ヨメに「また来たい!」と言わしめた小布施町。

一箇所だけでもヨメの喜ぶ場所を入れてよかった!!!

 

ということで帰路につきます。

予定では6時間。

安全運転でぶっとばします。

つづく。

ブライトウ10激突!川中島その2


2018年04月04日

気がついたときにはすでに朝で

ほんの一瞬だったような

深い眠りから目を覚まし

朝風呂へ。

なんでも長男と三男は僕が寝た後、

もう一度お風呂に入りに行ったらしい。

ということで三男3回目のお風呂。

今日は1日目2日目と違って

最初の目的地の開場が9時なのでそこまでゆっくり。

最近は野菜中心の食事を心がけているので

好きなものを選べる朝食バイキングはうれしい。

子どもたちはハムやらソーセージやらと

好きなものいっぱいあって嬉しいらしいが

朝からそれを食べるのはちょっと・・・

と思う自分は年をとったのだと思う。

またいつものじゃれあい。

仲が良くてよろしい。

予定より少しゆっくり出発して

最初の目的地は

真田宝物館。

去年も来てるので

今年はいいんじゃない?

と思うが、彼らには目的があったのでした。

そう、

この鎧兜の武将コスプレ!

1年経って

みんな大きくなった!

去年は怖くて着るの嫌だといっていた

三男もこの通り。

今年は赤いの着たい!

と言っていたが

「絶対君黒の方が似合うって!」

と誤魔化された次男。

でも似合うのは本当だ。

体格がよくなり

陣羽織がキツくなってきていた長男。

ちびっこコーナーに

おさらばするときは近いのかもしれない。

全員でお姉さんから撮ってもらったけれど

どれもピントが・・・。

でもありがとうございます!

甲冑を脱いで帰ろうとしたら

意外にも塗り絵コーナーにどハマり。

前回とはまた違った楽しみ方ができたのは

子どもたちの成長のしるしなんだな。

真田宝物館を後にして

向かったのは山本勘助の墓。

なんでも車では行きにくい場所だということで

金井山駅(現在は廃線)の駐車場から

歩いていく。

すごい細い道でスライドはおろか

ちょっと大きい車は曲がれない道路を

クネクネ曲がって向かう

こんなとこ車こないよなと油断していると

暴走郵便バイクに轢かれそうになる。

向こうもこんな道路

歩いている人いないよなと思い込んでいた様子。

危ない危ない。

のどかな川べりの畑の中に

ポツンとあった。

山本勘助(道鬼)の墓。

近くで農作業をしているおじさんとおばさんに

元気良く挨拶をしたら

「君たち挨拶上手でえらいな!」

とおじさんが寄ってきていろいろ教えてくれた。

理科の時間だと言って

井戸のポンプで支点力点の話とか

社会の時間だと言って

なぜこの勘助の墓がこんなにも立派なのかとか

様々教えてもらいました。

多分このおじさんは元先生だったのでは?

と勝手に想像。

せっかくだから写真撮ってあげると

おじさんの指定するポイントでパチリ。

なんでも山本勘助役の内野聖陽さんが

ここには4度ほど訪れているそうで

あら?

素通りしてきちゃていたけど

この石碑は風林火山撮影記念の碑で

この松は内野聖陽さんが植えていった松だとのこと。

おじさんから聞かなきゃ

全然知らなかった!

戦国時代のお墓というのは

小さな石くらいの墓標が一般的で

どんな殿様でもそんなに大きなものはないのですが

山本勘助の存在に敬意を抱いた

後世の人がこんな立派なお墓を立てた・・・。

そんな説明だったと思う。

山本勘助は空想上の人物で

実在しないという説もあるのだが

ドラマで見て、ゆかりの地をめぐり

お墓詣りまでした子どもたちの心の中には

確かに山本勘助は存在する!

そう言い切りたいと思います。

天気が良く、爽やかな風が吹いていたのですが

なんかその風にのって勘助が僕らを見に来た・・・。

そんな気持ちになるような清々しい気分でした。

いつも戦国武将のお墓詣りをしていて思うのですが

自分のお墓を400年後の人たちが

訪れて手を合わせてくれることってあるのだろうか?

なんて考えると

歴史に名を残した人たちの

凄さがわかるような気がします。

 

 

歩いてまた車まで移動し

ほど近い八幡原公園に5分ほどで到着。

今年も佐久間象山先生の銅像が迎えてくれます。

象山先生の言葉が刻まれていて

「私は生まれてから10年は自分のことを考え

そして

その後10年は家族のことを考えるようになった

20歳になってからは自分の生まれた

故郷のことを考えるようになり

30歳になったら日本国のことを考えるようになり

40歳になったら世界のことを考えるようになった」

というようなことが刻んでありました。

象山先生は僕の敬愛してやまない吉田松陰先生の師匠。

二度こうして先生の生まれた地に

足を踏み入れたことに勝手にご縁を感じています。

売店が並ぶ歩道を歩いていくと

武田上杉両雄一騎打ちの地へ。

ここはなんといっても

武田の本陣に上杉謙信が単騎切り込み、

切りつけたところ

武田信玄が軍配で受けたという伝説の地。

その際、謙信は三太刀切りつけたが

軍配には7つの傷、つまり7つの太刀傷がついたというのも

伝説の一つです。

本当にそんなことができたのか?

諸説いろいろありますが

それを考えるのも歴史の楽しみの一つですね。

ほんのすぐ隣の敷地に

お土産や食事をする施設があり

その片隅に

本当に無造作にそれはあった。

去年も見ているはずだったが

全く認識できていなかった。

胴合橋(どあいばし)

敵に討ち取られ奪われた勘助の首を

家臣がなんとか取り返し

この地に持ち帰ってきたことろ

この川の上流から主人のものと思われる

体が流れてきたので

その体と首とを合わせてみたところ

ぴったりと一致したというのがこの場所。

だから胴合橋というのだそうです。

この距離が2キロも離れていたのに、

首と胴体が合ったというのは、

勘助の首が胴体を呼び寄せたに違いないとと伝えられています。

ドラマ風林火山のラストシーンの場所ですね。

 

こんなシーンを追って

来たのだなぁ。

去年は山本勘助に関しての予備知識がなかったので

お墓もこの胴合橋もスルーだったのに。。。

感慨深い思いを持ちながら

原も減ってきたので次の目的地へ車で移動。

ブライトウ⑨激突!川中島


2018年04月03日

車を走らせることまた一時間。

子どもたちの寝てる間に

長野インターまで移動し

小高い山へ。

そう、

ここは妻女山。

武田信玄と上杉謙信が過去5度対峙し

もっとも大規模な戦となった

第4次川中島の合戦で

上杉謙信が陣を張ったのがこの妻女山。

目前には川中島・・・今でいう八幡原と

海津城(今の松代城)が見えます。

東屋があり、その先には展望台がありますが

もうこの人は登るつもりはありません。

正面に見える橋のあたりが川中島。

右手の山の手前が海津城。

もっと先には丸いエムウエーブなんてのも見えます。

 

ここに陣を張った上杉を

この妻女山から引きずりだそうと

別働隊が裏から奇襲する。

これが武田軍軍師の山本勘助(大河ドラマ風林火山の主人公)が

考え出した啄木鳥(きつつき)戦法。

しかし、その作戦は上杉軍軍師宇佐美に見抜かれ

山本勘助たちの別働隊が妻女山についたときには

この山にはすでに大群はおらず、

裏をかかれた勘助は自分の失策を取り戻そうと

川中島の合戦城に向い

討ち死にしたというのがドラマ風林火山の

クライマックスシーン。

一年間かけてドラマで勉強したので

子どもたちの頭にもきっとそのシーンが

うかんでいるんじゃないかな?

妻女山を降りる途中で

上杉謙信槍尻の泉。

ここに上杉謙信が槍を突いたら

そこから泉が湧き出したという

伝説の場所。

400年以上前の人物が立ったであろう

場所に立っている・・・。

それだけで感じるところがあるのでしょう。

ちなみに風林火山の上杉謙信は

GACKTでした。

山を降りて10分ほど車に乗り

松代へ。

しおりに記載された予定では

川中島古戦場や

象山記念館

象山地下壕

典厩寺

に行く予定でしたが

朝も早かったしみんなさすがにお疲れぎみだったので

松代城(海津城)を本日の最終見学地に変更。

この海津城は山本勘助が築城し、

甲州流築城の模範になったといわれる名城。

川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、

三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という

自然の地形を巧みに利用した堅固な造りであった。

激戦となった第4回川中島合戦では、信玄がここを

基地として出撃する。

 永禄3年(1560)ころには完成したと推定され、

『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』によると、

謙信との合戦に備えて信玄は築城を急ぎ、

山本勘助は80日で普請したという。

山本勘助の甲州流築城法「甲斐図」に拠り、

築城されたところから甲斐図(海津)とついたという説もあるそうです。

一年ぶりの松代城。

立派な櫓門をくぐり

本丸へ入ると

桜が満開でお花見に来ている人が多くいました。

去年も同じ時間くらいに来たのですが

我が家の貸切だったのですが。

物見櫓台へ登り

先に車から降ろしてリリースした

三人の子どもたちを探してみると

いた!

昨年も来ているので勝手知ったる三人は

見たことのある本丸へは一歩も立ち入らず

立派な二の丸土塁跡で

楽しんでいました。

こりゃ静かでいいわと

夫婦二人でしばしお花見。

しかし・・・

こんな土塁でギャンギャンキャッキャと

遊びまくるのうちの子だけだし、

花見見物の人たちの注目の的!

その間に二人で少々デートし

三人のいる土塁へ。

海津城は立派で高い土塁が残っており

うちの子たちは武将になった気持ちなのか???

は不明だが

下から攻め上がったり

上から滑り降りるのが

なんとも楽しいらしい。

あの〜。本丸見ないんすか?

想像通りに

お尻はドロドロのズボンはボロボロになり

たっぷり遊んで気が済んだところで

ヨメさんから強制収容。

去年も天気良かったけど

今年も最高!

雨降りじゃ土塁遊びできないもんね!

「もうホテル行こう」

子どもの方から言い出したので

よっぽど疲れたのだろう。

100名城スタンプをもらいに

真田邸へ歩き

時間ギリギリで間に合う。

んが、

しかし、

長男がしおりがないと言い出した。

また土塁に戻り

車の中を探しても

全く見つからない。。。

きっとどこかに置いてきてしまったのだろう。

長男は車から出るとき

車に乗り込むときに

持ち物に足りないものがないかをチェックする

「忘れ物担当係」

だったのだが、

その係が率先して忘れてくるなんて・・・。

怒りたくなる気持ちにもなったが

無くした本人が一番ショックを受けていたので

「まあまあ、跡からお父さんの見せてあげるから」

と慰めるしかなかった。

切り替えてすぐ近くの宿へ。

去年も泊まった

国民宿舎松代荘

ここは真田のオフィシャルホテルのように

浴衣から

布団から

のれんまで

至る所に六文銭と結び雁金が描かれていて

真田ファンのうちの子たちにとって

ディズニーホテルに泊まるようなものです。

早速泥だらけの体を清めるべく

お風呂へ。

僕的にこの宿をリベンジした理由の一つに

温泉の良さがある。

真田の隠し湯ということで

茶色に濁ったあったまりの湯が

なんとも癒されます。

昨年はこの露天風呂の写真を撮らないできたのが

なんとも悔いが残ったので

今年は風呂場に誰もいないのをいいことに

露天風呂撮影会。

中でもこのつぼ湯?

この写真撮れて父ちゃんも大満足!

一生の思い出になるんだよなぁ〜。きっと。

まだ日の高いうちから

今日も安着祝いでかんぱ〜い!

三男だけは特別のお子様ランチだけど

長男次男はいっちょまえの大人料理。

父ちゃんの楽しみはコレ。

おいしいんだよな〜。

このどぶろく。

腹が少し膨れると

すぐこれが始まる。

どこに来てもあまり変わらないな。

離れて座れば喧嘩しないと思うのは

大人の都合で

喧嘩しながらもくっついていたいのが

兄弟というものなのだろうな。

観光地を巡ると

いろんなところでアイスやソフトといったものが

売っているのだけれど

「今食べるのと夜食べるのどっちがいい?」

と選ばせた結果

長男次男は夜までガマンできた。

あ〜飲んだ食った!

部屋に戻ってまだ19時台。

僕は部屋に帰って

諏訪大社4社めぐり達成の印にいただいた

非売品のしおりを見てニンマリしているところで

意識を失う。

おやすみなさい。

最終日につづく。

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