長男の立ち位置
2025年05月06日
今日でGWが終わり
帰省していた長男が帰って行った。
3月末に寮に置いてきて
寂しさと悲しさで
どよーんと落ち込む夫婦に
『GW帰るよ!』
の知らせは希望の光だった。
その希望が
ヨメ様の表情を明るくさせてくれた。
その日から長男の帰省を
指折り数える日々が始まった。
彼はあっけなく帰ってきて
何事もなかったように
見事に我が家に溶け込んだ。
11日間と長い休みだったけど
過ぎてみると早いものだった。
離れて暮らして
わかったことが3つあった。
ひとつは
やりたいこと
行きたいところ
会いたい人がたくさんいて
帰省はしていても
家にはあまりいないということ。
それは高校時代と比べても
朝出かけて夜遅く帰ってくることと
さして大きく変わらないことだった。
自分も若い頃の帰省など
そんなもんだったと思う。
ただ、変わったのは
毎日寝に帰ってはこない
それぐらいのちょっとした違い
なのかもしれない。
ふたつめは
山形と千葉に離れてはいても
LINEやビデオ通話など
連絡手段が手軽にたくさんあり
それほどの距離感を感じなかったこと。
昔の自分の時代などとは
比べようもないくらいに
連絡を取り合うのは易しいことであり
寂しさなどあまり感じないのかも知れない。
みっつめは
今回は1か月
今度はお盆まで3か月
お盆から正月まで4か月
そうやっていない時間に少しずつ
慣れていくのだなということが
わかってきた。
毎日食卓にはリクエストご飯が並び
嬉々として料理をする母の姿
米の炊く量と洗濯物が劇的に増え
リビングがまた少し窮屈に感じたが
家族の距離は縮まり
密度温度熱量が
上がってくる
前回の千葉から
我が家のサヨナラ飯は
カレーということになったらしいし
みんなで納得しているようだ。
母と彼女のこれでもか!
というくらいのおもてなし料理に
体重大増量だけれどそれでいい。
線路が近いので
電車の時刻に合わせて見送ってみたが
どこにいるのかは分からなかったけど、
母のピンクのパーカーのおかげで
本人には分かったらしい。
また元気に会えるように
山形千葉別れているけど
各々抜かりなく
