産んだご褒美


2025年05月05日

僕が花を贈っても
喜んでくれる。
喜んではくれるけど
そこまで。
泣きはしない。
しかし息子が誕生日に
母へと贈る花は
毎回母を泣かす。
誕生日というものは
母が1番苦しんで命懸けで
自分を産んでくれた日だから
プレゼントをもらうのではなく
母に産んでもらった感謝の言葉と
逆にプレゼントを渡せる人間になれ
長男にはそれこそ小さな頃から
言い聞かせた。
春から社会人になり
父の古臭い教えを
愚直に実行に移し続ける長男は
僕の誇りである。
毎回泣くほどに喜ばせる長男に
泣いて喜ぶ母を見て
本来ヨメさんの涙など見たくはないけど
感動して嬉しくて
目から溢れ出る涙なら
それも悪くないとも思える。
だって今日は母が君を
命懸けで産んでくれた日だから
ご褒美は感動の涙。
それでいい。
それがいい。
よくやった長男。
対母親のキラーコンテンツ
また鉄板来たとか
ちょっと毎回これで泣かすの
ズルくない?と父は思いつつ
産んでくれてありがとう。
生まれてくれてありがとう。
父は感謝しか出来ないのです。

伝統とは


2025年05月04日

我が家のこの伝統
いつから始まった?
長男から聞かれた。
子どもたちがまだ小さく
子育て専業だったヨメ様に
誕生会の会場装飾をまかせたところ
彼女はきまぐれに
カレンダーの裏に手書きのメッセージを
書いてくれた。
『うまれてくれてありがとう』
まさに気まぐれで書いた物なので
毎回書くと言う訳でもなく
気が向かないと書かない。
兄の誕生日には手書きの装飾があるのに
弟の時に何もないのは
ちょっと気の毒だと思い
ダンボールの裏に
誕生日メッセージを書き始めた。
あれから10数年
誕生日のメッセージは父の役割となり
年3回書き続けた。
毎回変わり映えはしないけど、
今ではサッと書けるようになった。
もう一つ言うならば
最初は買ってきたケーキを
みんなで食べていたが、
誕生日には家族みんなでワイワイ
ホットケーキを焼いて
それを誕生日ケーキにしてる
と言う話を聞いて
手作りのケーキを用意するようになった。
自分たちで思い思いにペタペタ塗り
作るケーキは格別プライスレスである。
子どもたちにとって
人生の大半、誕生日という節目に必ずあるもの
それを我が家の伝統と感じている。
伝統と呼ばれるものの
始まりのきっかけはほんの
些細なことなのかもしれない。
子どもたちが親になった時
きっと思い出すはず
我が家の伝統のことを。
父の思い母の思い
そして君が生まれてきてくれて
こんなにも世界が輝いて見えた
1日早いけど
生まれてくれてありがとう。

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