ブライトウ10激突!川中島その2
2018年04月04日
気がついたときにはすでに朝で
ほんの一瞬だったような
深い眠りから目を覚まし
朝風呂へ。
なんでも長男と三男は僕が寝た後、
もう一度お風呂に入りに行ったらしい。
ということで三男3回目のお風呂。
今日は1日目2日目と違って
最初の目的地の開場が9時なのでそこまでゆっくり。
最近は野菜中心の食事を心がけているので
好きなものを選べる朝食バイキングはうれしい。
子どもたちはハムやらソーセージやらと
好きなものいっぱいあって嬉しいらしいが
朝からそれを食べるのはちょっと・・・
と思う自分は年をとったのだと思う。
またいつものじゃれあい。
仲が良くてよろしい。
予定より少しゆっくり出発して
最初の目的地は
真田宝物館。
去年も来てるので
今年はいいんじゃない?
と思うが、彼らには目的があったのでした。
そう、
この鎧兜の武将コスプレ!
1年経って
みんな大きくなった!
去年は怖くて着るの嫌だといっていた
三男もこの通り。
今年は赤いの着たい!
と言っていたが
「絶対君黒の方が似合うって!」
と誤魔化された次男。
でも似合うのは本当だ。
体格がよくなり
陣羽織がキツくなってきていた長男。
ちびっこコーナーに
おさらばするときは近いのかもしれない。
全員でお姉さんから撮ってもらったけれど
どれもピントが・・・。
でもありがとうございます!
甲冑を脱いで帰ろうとしたら
意外にも塗り絵コーナーにどハマり。
前回とはまた違った楽しみ方ができたのは
子どもたちの成長のしるしなんだな。
真田宝物館を後にして
向かったのは山本勘助の墓。
なんでも車では行きにくい場所だということで
金井山駅(現在は廃線)の駐車場から
歩いていく。
すごい細い道でスライドはおろか
ちょっと大きい車は曲がれない道路を
クネクネ曲がって向かう
こんなとこ車こないよなと油断していると
暴走郵便バイクに轢かれそうになる。
向こうもこんな道路
歩いている人いないよなと思い込んでいた様子。
危ない危ない。
のどかな川べりの畑の中に
ポツンとあった。
山本勘助(道鬼)の墓。
近くで農作業をしているおじさんとおばさんに
元気良く挨拶をしたら
「君たち挨拶上手でえらいな!」
とおじさんが寄ってきていろいろ教えてくれた。
理科の時間だと言って
井戸のポンプで支点力点の話とか
社会の時間だと言って
なぜこの勘助の墓がこんなにも立派なのかとか
様々教えてもらいました。
多分このおじさんは元先生だったのでは?
と勝手に想像。
せっかくだから写真撮ってあげると
おじさんの指定するポイントでパチリ。
なんでも山本勘助役の内野聖陽さんが
ここには4度ほど訪れているそうで
あら?
素通りしてきちゃていたけど
この石碑は風林火山撮影記念の碑で
この松は内野聖陽さんが植えていった松だとのこと。
おじさんから聞かなきゃ
全然知らなかった!
戦国時代のお墓というのは
小さな石くらいの墓標が一般的で
どんな殿様でもそんなに大きなものはないのですが
山本勘助の存在に敬意を抱いた
後世の人がこんな立派なお墓を立てた・・・。
そんな説明だったと思う。
山本勘助は空想上の人物で
実在しないという説もあるのだが
ドラマで見て、ゆかりの地をめぐり
お墓詣りまでした子どもたちの心の中には
確かに山本勘助は存在する!
そう言い切りたいと思います。
天気が良く、爽やかな風が吹いていたのですが
なんかその風にのって勘助が僕らを見に来た・・・。
そんな気持ちになるような清々しい気分でした。
いつも戦国武将のお墓詣りをしていて思うのですが
自分のお墓を400年後の人たちが
訪れて手を合わせてくれることってあるのだろうか?
なんて考えると
歴史に名を残した人たちの
凄さがわかるような気がします。
歩いてまた車まで移動し
ほど近い八幡原公園に5分ほどで到着。
今年も佐久間象山先生の銅像が迎えてくれます。
象山先生の言葉が刻まれていて
「私は生まれてから10年は自分のことを考え
そして
その後10年は家族のことを考えるようになった
20歳になってからは自分の生まれた
故郷のことを考えるようになり
30歳になったら日本国のことを考えるようになり
40歳になったら世界のことを考えるようになった」
というようなことが刻んでありました。
象山先生は僕の敬愛してやまない吉田松陰先生の師匠。
二度こうして先生の生まれた地に
足を踏み入れたことに勝手にご縁を感じています。
売店が並ぶ歩道を歩いていくと
武田上杉両雄一騎打ちの地へ。
ここはなんといっても
武田の本陣に上杉謙信が単騎切り込み、
切りつけたところ
武田信玄が軍配で受けたという伝説の地。
その際、謙信は三太刀切りつけたが
軍配には7つの傷、つまり7つの太刀傷がついたというのも
伝説の一つです。
本当にそんなことができたのか?
諸説いろいろありますが
それを考えるのも歴史の楽しみの一つですね。
ほんのすぐ隣の敷地に
お土産や食事をする施設があり
その片隅に
本当に無造作にそれはあった。
去年も見ているはずだったが
全く認識できていなかった。
胴合橋(どあいばし)
敵に討ち取られ奪われた勘助の首を
家臣がなんとか取り返し
この地に持ち帰ってきたことろ
この川の上流から主人のものと思われる
体が流れてきたので
その体と首とを合わせてみたところ
ぴったりと一致したというのがこの場所。
だから胴合橋というのだそうです。
この距離が2キロも離れていたのに、
首と胴体が合ったというのは、
勘助の首が胴体を呼び寄せたに違いないとと伝えられています。
ドラマ風林火山のラストシーンの場所ですね。
こんなシーンを追って
来たのだなぁ。
去年は山本勘助に関しての予備知識がなかったので
お墓もこの胴合橋もスルーだったのに。。。
感慨深い思いを持ちながら
原も減ってきたので次の目的地へ車で移動。