ブライトウ③【真田の郷】


2017年04月03日

高速にのり市街地を通り抜け

向かったのは「真田の郷」

まずはゆきむら夢工房にてさらっと情報収集と昼食。

のはずが・・・。

大いに足止めを食う。

おまけに予定していた信州そばも

土日のみの提供ということで食べられないことが発覚。

しかも売店で見事に引っかかった三人。

「まだ旅行始まったばっかりだからあんまり使いすぎると

あとからお小遣いなくなっちゃうよ」

僕の忠告は耳には入っていないようだ。

今回、子どもたちのお土産や、お小遣いについては

子どもたちに財布を渡し、

ばあちゃんにもらった餞別や、

家でテレビ我慢して貯めたお小遣いを入れ、

一切の管理を自分の責任とすることにした。

つまり

何をいつ買おうが

僕は一切関知しない。

さて、どういうお金の使い方をするのか

見せてもらおうか。

。。。。。

結局ここで半分以上のお小遣いを使い果たす。。。

案内所のお姉さんに

お姉さんがいつも行くお蕎麦屋さん教えてください。

そういって教えてもらったお蕎麦やさんへ移動し

信州そばを食す。

なんでも本来は十割そばが信州そばなんだけれど

観光の方があまり十割のボソボソした感触が好きではないということで

ほとんどのお店が観光客に向けて

二八そばを出しているんだとか。

案内所のおねえさんはしきりに

「ボソボソしてダメだという人がいる」

と言ってきたが、こちらは山形出身。

見せてもらおうか。

信州そばのボソボソ加減を!

ということでもりそばを注文。

長男は大盛り。

お店の人からは「食べれるの?」と心配されていたけれど

山形のそばの方が盛りがいい!!

みんな余裕の完食。

少し細めで田舎蕎麦に慣れている僕らには

物足りないくらいにボソボソなんてしない。

タレは濃いめで

でも細い割にしっかりと繋がっていて

香りのあるお蕎麦でした。

ここでもまた長男の

「僕たち山形から来たんですけど〜」

が始まり、すごいね〜えらいね〜の言葉をもらって

上機嫌。

美味しいお蕎麦でした。ごちそうさまでした。

そのお蕎麦やさんでこの後のスケジュールを話すと

「ここにきたらぜひ山家神社に行ってください!!」

とオススメされる。

 

ここは真田の郷で真田家が崇拝した神社。

敷地内に真田幸隆昌幸信幸信繁を祀った真田神社があって

上田城の真田神社はここから分祀されたのだそうです。

碁盤があり、

そこに5円玉を並べるのが真田流のお賽銭。

「5円玉6枚で六文銭」

がスタンダードなようで、

財布から5円玉を掻き出す。

もっとたくさん5円玉を持って来ればよかったと

今更ながら思う。

そして急な坂道を登って

長谷寺へ。

真田幸隆昌幸行幸隆奥のとりさんのお墓があるお寺。

まだ雪が残っている境内。

やっぱりここでも六文銭。

400年前に生きた人。

その足跡を追って

手を合わせている僕ら家族。

よっぽどのご縁があったのだろうなと思いました。

さて、

今から400年後、僕のお墓に手を合わせてくれる人って

いるのだろうか???

そんなこと考えてしまいました。

長谷寺から少し大きな道路を下り

また細い道を登ったところに

真田氏本城跡がありました。

ここは戦国時代、上田に降りる前の真田氏の居城で

地形を利用した細長い連郭式の山城です。

この縄張りから

400年前の武将の考えに触れたいと

どうしても来たい場所でした。

そこから見下ろす

真田の郷の景色はきっと

400年前から大きく変わらず

昌幸信幸源次郎も毎日眺めた景色なんだろうなぁ〜。

そんなことを考えると

400年の時を超えて

当時生きていた人間に出会えるような感覚になる。

これが歴史のロマンなのかなと思いました。

通常の登り口から登ると

本丸付近に到着します。

ここも周りはすべて切り立つ崖になっており

横からの侵入は不可能。

三の丸〜二の丸〜本丸と

一つ一つ破らないと本丸へはたどり着けない

鉄壁の城。

見事に自然の地形を利用した

天然の要塞。

お見事!!

なので三の丸から本丸へ向けて

みんなで逆走してみる。

はぁはぁ。

息が切れた。

多分たどり着くまでに

10回くらいヤられてるな。

山を降り、真田氏歴史館とお屋敷公園へ。

ブラタモリで堺雅人さんが来ていたところだ!!!

とみんなで大興奮。

んが・・・

ちょっと時間が・・・。

ここの見学はほどほどに

今回の旅行の大目的

「上田城」へ向かいます。

 

つづく。

 

ブライトウ②【小諸城】


2017年04月03日

2時間かけて到着したのが

小諸城!

今は「懐古園」という名前の公園になっており

動物園なんかも併設されているそうですが、

この城は日本100城にも選ばれており、

普通お城は天守や本丸に向かうにつれて

上に上にと登っていくものなのですが

この小諸城は「穴城」と呼ばれ

本丸に向かうにつれてどんどん低くなっていくのだそうですが

果たしてそれで防御力があるのか??

と疑問を持つ子どもたちと僕。

わかりますか?

三の門に向かって低くなっています。

場内のおじさんに

石垣の時代の違いや

城の仕組み

城主の遍歴など教えていただきました!

ありがとうございます!

小諸城は

第二次上田合戦の徳川秀忠の陣となりました。

この「懐古園」の文字も

徳川家達の書だそうです。

三の門をくぐり中へ行くと

石垣が見えてきます。

これが400年前の石垣かぁ。

これこれ、

登ってはいけません。

 

途中橋がかかっており

そこは深い谷のような堀になっていて

人が歩いたり登ったりできるようなところではありません。

 

さらに奥に進むと

 

平らな場所の幅が狭くなり

両端が幅が広く深い谷に。

「これ・・・無理だよね・・・。

子どもたちも責める気なくしています。

途中神社により

名城スタンプゲット。

受付のお姉さんに

「山形から来たんです」

と話しかけ、しおりを見せ

偉いね関心ねと

特別に本当は有料の資料をいただいた長男。

今後これが長男の十八番となる。

 

物見台跡があって

登ってみるとなおさら

「あぁ、ダメだ・・・。」

先端の行き止まり

つまり一番深い本丸付近に来ると

そこから先は断崖絶壁・・・。

こちらからは絶対に敵が来れない。

理由がはっきりとわかりました。

普段はあまりやらせないんだけど

富士山が見えるかも???

ということで100円入れて90秒だけ

望遠鏡で交代交代で覗き見る。

ざんねんながら雲がかかって見れなかった。

どれ、引き返すよ!と歩くことしばし。

またしても

「僕の信玄ペンがない!」

と言い始める長男。

オイオイ、本日2度目だよ。

大事なペンならしっかり持ってなさい!

と言いながら引き返すと

道の真ん中にポトリ。

よくも毎回忘れずに忘れてくるものだと関心してしまう。

三の門を背にして

地下道で線路を越えて

小諸城大手門へ。

さっきお兄ちゃんが登ったから

やっぱり真似。

フムフム・・・

なかなかいい石垣じゃ・・・。

もうちょっとゆっくり見たいけど

次があるから!

といよいよ目的地上田へ向かう。

つづく。

 

 

 

家族旅行ブライトウ①【出発〜犬伏の別れ】


2017年04月03日

真田丸にどっぷりはまった我が子たち。

「上田行きたい!!」

と去年から言い続け

そのリクエストに応えるべく

3日間で長野へ真田の足跡をたどる旅に出ることにしました。

 

今回の旅行に先立ち、

確実に想定される子どもたちからの

「どこいくの?」

「いつつくの?」

「どれくらいでつくの?」

「なにがあるの?」

「ご飯どこで食べるの?」

「どこに泊まるの?」

等々の質問を受け続けながらの

片道5時間を越すロングドライブは

僕の神経が持ちません。

したがってその質問を全てシャットアウトするために

「旅のしおり」を作成。

 

最初はざっくりとしたスケジュールだけが書いてある

簡単なものにしようとしていたのですが

作っているうちに

「ん?これは聞かれるな・・・?」

という部分に気づき

そこを潰していったら

32ページフルカラーの旅のしおりが出来上がりました。

 

タイトルも子ども達と話し合って

「真田に会いに行こう

信州上田でブライトウ」

に決定。

まず決めたのがめあて。

本当は「ケンカ禁止」

と書きたかったんだけど

〜しちゃダメばかりになってしまうと

楽しくなくなってしまうので

できるだけソフトな書き方で。

とにかく

「楽しむために来た」

これを頭から離さず過ごす3日間にすること

これが我が家の旅の際の大きな目標です。

 

ルートを検討した結果

1日目は東北道で佐野で途中下車

小諸に向かい上田に入る。

二日目は

上田から松本に向かい松代で泊まり。

最終日は長野に寄り新潟通って帰ってくるという

これまで我が家では経験したことのない

ハードな三日間です。

検討に検討を重ねた1日目のスケジュール。

調べた結果、お城や観光施設って

閉館時間がとても早く

5時閉館4時30分最終受付なんていうところばっかり。

日も長いんだからもうちょっと遅くまでやってくれると助かるんだけど・・・

なんて思いながら

スケジュールを前倒しした結果

なんと自宅出発は朝3時半。

 

2時半に起きるつもりが

テンション上がって興奮したのか

1時前に目を覚まして眠れない・・・。

結局準備をしながら時間を過ごし

予定通りに出発し、

高速道路の夜間料金の適用になる

4時前には山形北ICを無事通過。

車中の子どもたちも予想通りに興奮して寝てくれない。

そのまま休憩一回、運転すること3時間半

空も明るくなった頃

一番目の目的地

「佐野犬伏新町薬師堂」に到着!

ここは1600年、関ヶ原の合戦の前に

徳川の東軍と石田の西軍どちらにつくかを

真田昌幸信幸信繁の三人が話し合い

長男信幸は徳川方の東軍に

父昌幸と次男信繁は西軍に別れ

どちらが勝っても「真田」を残そうと決めた

「犬伏の別れ」

の舞台となった神社です。

真田丸ではこんなシーンでした。

子どもたちの頭の中にはこんなイメージなんでしょうね。

そんな場所に来てしまったもんだから

子どもたちも僕も大興奮!!!

 

これでもかというくらいに記念撮影。

 

今回のしおりには

各場所ごとにメモ欄と説明があり

そこに気づいたことや感じたことを書き込むことができます。

これは長男のアイディアです。

 

早速書き込む。

書くことはたくさんある。

早朝のため、お堂の中は見ることができませんでしたが

この場所に来ただけでも

大満足です。

さて帰ろうかと車に乗り込んだら長男が

「僕のペンがない」

と始まった・・・。

そんなの諦めるように言ったが

大事な「信玄ペン」なので無くしたくないとのこと。

そんなに大事ならちゃんと持ってろよ〜。

探しに行くと

社の正面に鎮座。

なんとか回収。

こういった場合にはしおりの

「おもしろトピックス」に記入することに。

まずは1個目のおもしろトピックスネタゲット!!

無事ペンが見つかり

安心して次の目的地

「小諸城」へ向かいます。

車中に戻ると大音量で

「真田丸のテーマ」と

「ふたりでひとつ」を聞きまくり

2時間のドライブ。。。

つづく。

 

 

祝!元服


2017年04月01日

長男10歳10ヶ月、

本日、我が家では

元服とします。

経済的にはまだですが、

自分の子どもだからと

アレコレと先回りして

世話を焼いたり

親の勝手な思いを通すために

言うこと聞かせたり命令したりは

今後一切しない。

1人の人間としての

考えや判断を出来るだけ尊重して

大人として扱うことを

本人に宣言しました。

その証として

手作りしたミサンガを

プレゼント。

難しいのは

子の親離れではなく

親の子離れなのだと思います。

君がどんな若者に成長してくれるのか

楽しみでしょうがない。

元服おめでとう!

総括


2017年03月31日

今日は月末、

恒例の儀式です。

僕は仕事、

ヨメさん学校で
朝から不在。

しかし

春休みの子ども達3人。

ケンカしながらも

力を合わせてご飯作ったり

なんとか暮らしていた姿に

各々成長を感じさせてくれました(o^^o)

明日明後日

親たちは仕事

小学生は宿題がんばって…

月曜日からは…ムフフ( ^ω^ )

歴史上の人物でお父さんが1番好きなの誰?


2017年03月31日

『歴史上の人物でお父さんが1番好きなの誰?』

と聞かれたので

『吉田松陰先生!』

と即答。

お父さんは松陰先生の言葉に

魂を揺さぶられるんだよと

松陰先生の名言を紹介して

松陰先生が亡くなるところまでの

【おーい竜馬】を読み聞かせ。

辞世の句

身はたとい

武蔵の野辺に朽ちぬとも

とどめおかまし大和魂

のところで

長男次男、そして僕も…

号泣(^◇^;)

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夢なき者に理想なし、

理想なき者に計画なし、

計画なき者に実行なし、

実行なき者に成功なし。

故に、夢なき者に成功なし。

ーーーーーーーーーーーーーー

スライムが現れた!


2017年03月29日

カット後のご褒美

ガシャポンの中に

混入してみました(*´꒳`*)

子ども大好き鉄板アイテム

【スライム】

ずーっといじって離さない。

大人になるとこの楽しさを

忘れてしまうんじゃないだろうか。

神ってる


2017年03月28日

ジャンプの懸賞当たった!!!!

ポンポンと大物を引き当てる

引きの強い次男三男。

それに比べて

アメのくじ引きすら

スカしか引かない長男。

応募したのも忘れていた

長男は大喜び。

きっと、神様は見てるんだねって

言っておいた。

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